目標を達成するのは未来を思い描くから?冷静に問いかける
私の人生に、目標を立ててくれる人が現れた。
9割くらいは、くだらない意味のない目標だ。例えば、街中でアフロを3人見つけてくるとか、角刈りを3人見つけてくるとか。目標と一緒に設定する厳しめのペナルティを回避しようと、私は危うく友達を角刈りにしてしまうところだった。
くだらない意味のない、つい笑ってしまう目標が毎日設定される。明日の目標を一緒に考えてくれる人がいる。
人生はニーチェの永遠回帰みたいなものだと思っていたのに、くだらない意味のない目標ひとつで、明日聴く音も生ける花の顔も全く違うとはっきり分かる。
「私の強みは、自分で目標を立て、その目標に向かってまっすぐ努力するところです。そして必ず、目標を達成します」みたいなことを、入試や面接の場でよく言ってきた。
工夫して最大限の努力をして、自分で立てた目標を私の人生を飾る実績に変えていく。よく頑張っていると思う。
ただ、ふと冷静に自分に問いかけてしまう。目標を達成するのは未来を思い描くからか、過去に留まろうとしているからか。
目標を届けてくれた人は、一緒に笑って生きていこうと言ってくれた
私の父である人は、私を愛さないことを選んだ。20年以上前のことで、それは一人の人間のひとつの選択に過ぎないが、その選択の影を私は20年手放さなかった。
その出来事は過去にはならず、私はその影と生きることになった。影は、父である人とのつながりを私に残すものに変わっていった。
目標を立て、達成し、私の人生を飾る実績に変えていく。父に見てほしかった、自立して強く生きる私というものを。父に知らしめたかった、自分の娘である人にとって、自身の不在のその意味の小ささを。
私の立てる目標は、退屈だった。退屈な目標を立て続けた。
初夏に、飽きることのない、意味のある目標が毎日届くようになった。くだらない意味のない、笑顔になれる目標だ。
目標を届けてくれた人は、一緒に笑って生きていこうと言ってくれた。この人は、私に愛をくれているんだと、気づくというより知っていた。
自分で立てたはじめての意味のある目標は、ずっとこの人を一番笑顔にできる人でいよう、だった。影を抱えた私の心には愛を受け取るスペースがないことを見つけて、自らこの目標を手放すことになるとは思わなかった。
私は退屈な目標すら立てられないほどに、空っぽになった
その人の不在の意味は小さくなかった。私は退屈な目標すら立てられないほどに空っぽになった。
しかし、それは私の人生にとってとても大切な空白になる。過去の影も連れ去られた空白だったからだ。
はじめて、過去の出来事をまっすぐに見つめ直した。アンソニー・ロビンズは、人生を変えるのは出来事ではなく、私たちが持たせた意味だと言う。私の父である人は、私を愛さないことを選んだ。私はその出来事に、自分は愛されることはないという意味を見出した。
でもやっと気づいた。その出来事の意味は、単に私を愛さない人もいるというくらいのものだし、他の愛を受け取るためのスペースをもらったというものでもよかった。私を愛することを、私と一緒に生きることを、少なくとも一度は選んでくれた人もいたのだから。
いま私は、ワクワクする目標をたくさん立てている。
5月のバレエの舞台での目標は、踊りや表情から音が聞こえてくるくらい自由に踊ること。生花の先生になって子どもに教えることも目標にしている。心理学を学ぶために、通信で大学にも通い始めた。
自分の弱さや過去の影にとらわれる人の痛みや切なさが分かるから、カウンセラーとして私に出来る方法で人々の心に寄り添っていきたい。大切な目標をたくさん立てながら、生きていきたい。明日の目標は何にしよう。