たぬき顔の流行により、外見を褒められることがうんと増えた

たぬき顔。それは近年流行りの顔立ちのひとつだ。
黒目がちの丸い目。下膨れの丸顔。低めの丸い鼻。やや大きめの口。様々な条件が揃い、たぬき顔が成り立つ。
私はこのたぬき顔の流行にとても救われた。それは決して誰もが認める美形とは言えない自分の容姿も、たぬき顔の流行により広く受け入れられるようになった気がするからだ。

たぬき顔が一つの美人のあり方として確立したと同時に、外見を褒められることがうんと増えた。顔立ちを褒められることが増えて、いつの間にかあだ名は「たぬきちゃん」になった。
仲の良い後輩からは「標準体型で決して飛び抜けた美人ではないけど、童顔で爆乳で男ウケはいいから、僻まれないようにしてくださいね」と、歯に衣着せぬアドバイスをいただいた。
10年前、子猫やフェネックのような拳くらいの大きさの顔で端正な目鼻立ちのアイドルや女優を見て、「自分はどう頑張ってもああなれないな」と落ち込んでいたが、今では頬が丸く低めの鼻で親しみやすい顔のアイドルや女優が表紙を飾ったり、ドラマの主役を演じている。月とすっぽんだが系統が近い女の人が輝いているのは嬉しいことだ。

しかし、たぬき顔の私には新たな受難が待ち受けていた。
それは「たぬき顔の女性は性にだらしない問題」だ。

私の顔と似た芸能人が炎上し、「たぬき顔=性にだらしない」論争勃発

きっかけは、ある芸能人の大炎上である。
芸能人が炎上すると、嫌でもトレンドにのったり、呟きが回ってくる。その芸能人は私にとってよく聞く名前だ。
「たぬきちゃんって〇〇に激似ですよね!」
「たぬきちゃんは本当に〇〇に似てるよね」
「テレビ付けて〇〇が映ってたけど、たぬきちゃんに似てるね」
その名前は、畏れ多くもたびたび似ていると言われる芸能人の名前だった。しかし、彼女は炎上している。当然手厳しい意見がスマートフォン一面を埋めつくしていた。そして、その炎上は別方向に変わっていった。
「結局さ、〇〇みたいなああいう顔立ちが一番ヤリマン」
「〇〇系統の顔は、清楚なふりして不特定多数の男と遊ぶ顔」
「〇〇は男人気は抜群いいけど、女からは死ぬほど嫌われる顔」
「〇〇は大して可愛くないのになぜ人気なの?」
そして極めつけは「たぬき顔の女はクソビッチ」。そして他のたぬき顔とされる芸能人も巻き込まれ、「たぬき顔=性にだらしない」論争は今でも続いている。

私自身、幼少期に容姿の悪口を言われてきた当事者であるため、しばらくの間SNSを見ることを控えた。特に、自分がかつてよく似ていると言われた芸能人が言われていることがさらに胸を痛くした。
直接被害を被っていないが、間接的に容姿を悪く言われている。中高時代に言われてきた悪口を記憶の彼方に投げ飛ばしたら、ブーメランで戻ってきたようだ。

渦中の彼女は容姿の悪口に対してどう思っているのだろうか。不特定多数の人前に出てパフォーマンスをし続けるというメンタルの強さはあっても、やはり簡単に変えられない見た目の悪口は誰だって嫌だろうな。

私の顔の印象は「彼氏や旦那に近づけたくない清楚系ビッチ」

また、私はこの炎上から、かつての大学の友人とのエピソードを思い出した。いつも通り授業前に雑談をしていたある日、友人は言った。
「たぬきちゃんが見た目通りの性格だったら、絶対に仲良くなっていないわ」
唐突のカミングアウト。私はその真意を聞いた。
彼女いわく、私の第一印象は、彼氏や旦那に近づけたくない清楚系ビッチだったらしい。しかし、長い間関わる中で、その気質の欠片すら無いため仲良くできているそうだ。
彼女の意外な言葉に私は驚いた。同時に一目見て簡単に誤解せず勇気をだして仲良くしてくれたことに改めて感謝した。
彼女は正にレアケースである。よくぞ話しかけてくれた。

これまでは主に同級生の女子から、一目見て男好きだと勘違いされ続けた。そして初対面でぶりっ子だと思われてしまい、それに付随して色んな良からぬイメージがついてしまった。その結果、私はそんなんじゃないと必死に自己開示をして縋った。わざわざ話さなくても良い恋愛事情を他者に話した経験は数え切れない。

でも、それって私が悪い訳ではない。そもそも初対面、全く会ったことが無いのに人格を悪く決めつけられることはたまったもんじゃない。
苦手な顔、得意な顔、世の中には色々顔があると思うが、苦手だからといって性格まで悪く決めつけるのはおかしい。性格は顔に出ると言っても、答え合わせはいざ相手と接してみてからだ。

外見で全てを決めつけて人格否定されるのは、誰もが嫌なこと

特にどうしてたぬき顔は、こんなに悪口を言われなければならないのだろうか。何かあれば顔の大きさや鼻の低さ、垢抜けなさでバカにされる。整いきった美人と比べられて容姿の隅々まで悪口を言われる。
そもそも男女関係で問題を起こしたのはその人自身の問題であり、たぬき顔の問題ではない。あざとい、ぶりっ子はその人の特性であり否定されるものではないし、たぬき顔の問題ではない。
ありえないとは思うが、私のような顔立ちの人が科学的にトラブルを起こしやすい傾向があるのかもしれない。それでも私たちには一人一人人格があり、全てひっくるめて性にだらしない人扱いされるのはとても心外である。
「ああ、訳分からない人たちから僻まれているなぁ」で済む問題ではないのだ。
外見で全てを決めつけて人格否定されるのは、誰もが嫌なことだ。

たぬき顔は性にだらしない?違う!実際のタヌキのようにつがいにとてもとても一途なパターンもある。現に私は浮気や不倫に大反対。これだけでも立派な反例だ。
といっても、文句を言いたい人はきっと一定数はいるだろう。こうなったら、必殺兵器がある。
「私はあなたのように悪口を考えて時間を無駄にせず、人を傷つけていませんよ」
「たぬき顔は多分引き続き流行します、完璧な美貌でなくても、愛されてごめんなさいね」
「悪口を言っていると必ず自分に返ってきてあらゆる面で自己肯定感下がるわよ」
思いがけない悪口に出くわした時、心で何度も呟いて落ち着かせる。そして今日も心の中で呟く。
「私はやはりこの顔が大好きだ」