別れた男から、何だかわからない花の種を渡されたことがある。
大学1年生の時から6年間、同じ学部の男の子と付き合っていた。お互い、結婚するつもりでいた。
私にはその彼氏と別で、仲良くしている男の子がいた。1歳年下のバイトの後輩で、大学3年の時にそういう関係になってしまった。
私は彼氏と別れるつもりは全くなく、後輩もそれを分かっていた。でもお互いその事実は見て見ぬ振りをしながら、相手のことを異性として慈しみ、大切にしていた。
私が大学を卒業して京都から東京に引っ越してからも、後輩との関係は続いた。月に一度はどちらかが相手の家に行き、泊まって帰った。同じく京都に残った彼氏よりも、会う頻度は高かったかもしれない。
彼との結婚を意識し、けじめをつけるため後輩との別れを決めた
別れたのは、彼氏のご両親に挨拶に行くことになった時だった。結婚を意識した時に、流石にけじめをつけようと思って別れを告げた。
電話をかけて、けじめをつけないといけないのでもう会えないと言うと、後輩は「寂しいけど、分かった」と言ってくれた。
涙が止まらなかった。彼氏から乗り換えようと考えたことは何故か無かったものの、それが不思議なくらい、一緒にいて楽しくて愛しくて大切な人だった。それなのに、自分からさよならを言ってしまった。
自分で別れたくせに、なかなか未練が消えず、彼氏にも元気が無いと心配された。
別れを告げて数日、やっと自分の中でも割り切れたかと思った頃。
後輩から一枚のポストカードが届いた。ラベンダーの花の絵が描かれたカードで、裏面には私と一緒に過ごした時間がとても楽しかったことと、幸せになってほしいということが書かれていた。
ラベンダーの絵の下には小さな字で、「花言葉 あなたを待っています」と印字されていた。意図してのことなのか偶然なのかはわからない。返事を出してすぐにでも関係を復活させたいのを我慢した。
「育ててみて」。後輩が送ってきた、何の植物かわからない種
それから数日後、今度は小さな段ボール箱に入った荷物が届いた。
開けると、陶器の白猫が土の入った小さな植木鉢を抱えていた。猫の大きさは手のひらにすっぽり収まるくらいで、脇腹のところに私の名前が彫ってあった。一緒に入っていた小さな紙を見ると、猫と植木鉢がクローバー栽培キットだということが分かった。小さな袋に入ったクローバーの種もついていた。
そこまで確認して、私の手が止まった。
クローバーとは別に種の入った袋があって、後輩の手書きの文字で「これ、育ててみて」と書かれている。なんの植物かは全くわからない、初めて見る黄色い丸い種だった。ラベンダーかと思って調べてみたけれど、違うようだった。
きっとこの植物に後輩の想いや私へのメッセージが詰まっているのだ、と私は思った。そこまでして彼が伝えようとしてくれているのは、どんな気持ちなのか。花を咲かせて彼の想いを受け取りたいと思った。
私は、クローバー栽培キットの説明書きを読みながら、その種を植えてみることにした。
まず土を植木鉢に入れて、水で湿らせてから指で表面を浅くへこませる。そこに種を入れ、軽く押して土の中へ沈ませる……。
指先で種を押したとき、ぽろぽろと崩れるような感覚があった。
おそるおそる指を持ち上げると、ボロボロに崩れた種が土の表面と指先に惨めにくっついていた。クローバーの種のように丈夫でないその黄色い種は、どうやら押さえてはいけなかったらしい。
一縷の望みを捨てずにしばらく水やりなどもしたが、やっぱり花が咲くどころか芽も出なかった。
花が咲いていれば、最後のメッセージを受けとれたのだろうか
ちゃんと種を育てて花が咲いていれば、大好きだった後輩の最後のメッセージをしっかりと受けとれたのだろうか。
想像すると、それはなんだかすごく美しい恋愛ストーリーみたいだ、と思う。
でも私には、そんなストーリーの主人公になる資格が無かった。小さな種ひとつ育てることもできずに、初っ端から粉々にしてしまうようながさつな私には、綺麗な物語は無縁のようだ。
むしろ私には、こんなふうにオチのつく話がお似合いだ。
当時結婚を考えていた彼氏とも別れ、今はどうしたことかバツイチのろくでもない男と猫と暮らしながら波乱万丈の生活を送っている。
後輩との恋愛は、それだけを取り出せばとても綺麗なものだったと思う。人生で一番素敵で美しい恋として私の記憶に残っている。
それを粉々に壊してしまったのは他の誰でもなく私自身。後輩と一緒に育んできた恋愛感情どころか小さな種ひとつ大切にできずに、自分の手でくだらない笑い話にしてしまった。
そんな私だけれど、決して咲くことのない名も知らぬ花の種が眠っている白猫の陶器だけは、どうして捨てられずに部屋の隅に飾っている。