わたしは、過去の記憶が捨てられない。

自分で言うのもなんだけど、わたしは記憶力が良い方の人間だと思う。
自分では、エピソード記憶に特化しているように感じる。
エピソード記憶とは「個人が体験した日々の、時間や場所および感情を伴った出来事の記憶」のこと。
「あのときこんなことがあったね」「あのときこんなことを言ってたよね」と、本人も覚えていないような些細な日常の一コマを覚えていることがよくある。
そして、思考回路は完全にネガティブ寄り。
必然的に、嫌な出来事を思い返すことが多くなる。

「嫌なことばっかり忘れられなくて可哀想」。忘れられない母の言葉

母はわたしに言った。
「あなたは、人からされた嫌なことばっかり忘れられなくて可哀想」と。
そのセリフは、わたしが言われて嫌だった忘れられない言葉の1つだ。

わたしは理屈っぽいところがあり、母は感情的な人だった。
わたしは矛盾することが嫌いだが、母はその時々で主張が変わる。
その度に「あのときお母さんはこう言ってたのに、今と言ってることが違う」と指摘するわたし。
対して、感情をむき出しにし、怒りをぶつけ、矛盾したことを言い続ける母。
悲しいことに、わたしはそれらのエピソードを、いくつも具体的に思いだすことができてしまう。

元カレは、わたしにあまり興味がない人だった。
わたしとした約束をほとんど反故にするような人だった。
約束を反故にされる度、「あのとき、約束したよね?」と伝えるけれど、彼は「覚えてない」と言う。
別れてから6年ぶりぐらいに会って話しても、やっぱり彼は覚えていないことが多く、わたしは本当によく覚えているなと思う。

「忘却は神様からの贈り物」という言葉は、その通りだと思う

「記憶力が良い」というとなんだか頭が良さそうに聞こえるが、何もこれは全てにおいて適応されるわけではないのが残念なところ。
母と元カレに、とんでもなく失礼なことを言われたことがある。
「そんなに記憶力が良いのに、なんで勉強ができないんだろうね」
わたしだって、好きで記憶力が良いわけではないし、好きで勉強ができないわけではない。

「忘れることは神様が与えてくれたプレゼント」「忘却は神様からの贈り物」という言葉を聞いたことがある人はいるだろうか。
初めてこの言葉を聞いたとき、本当にその通りだと思った。
ストレスランキングの上位3位は、配偶者や恋人の死、親族の死、親しい友人の死だ。
亡くなった日と同じ悲しみが、永遠に薄れることなく続くとしたら、みんな耐えられなくなって死んでしまう気がする。
今まで生きてきて辛かった記憶が少しも褪せることなく、ただただ蓄積していくとしたら、自殺者が絶えなくなるかもしれないと思う。
だから、忘れられることは、人間が生きていくために必要なプログラムなんじゃないかな。
辛いことがあっても時間とともに忘れられるから、ずっと辛いまま生きずに済むんだと思う。
神様なんて信じていないけれど、人間に忘れられる機能が備わっていることには感謝しかない。

いつか、辛かったこと、嫌なことの記憶があせる日がきますように

いつか、辛かったこと、嫌なことの記憶が褪せる日がきますように。
それから、記憶力が良くて良かったと思える日がきますように。
ただ祈るだけでは何も変わらないから、過去に囚われ気味のわたしは、今と未来を大事にする人と一緒にいることを選んでみたりした。
残念ながら、それが価値観の差に繋がってしんどくなってしまったから、また別の解決策を模索していかなきゃいけない。

わたしは記憶力が良くて良かったと思ったことはほとんどないし、これからも色々な記憶が捨てられないと思う。
できればもっと忘れたい。捨てていきたい。

だけど、簡単には思いつかないもので、とりあえず老化現象に期待しようと思う。
年を取ったら、必然的に記憶は色褪せるはず!
かがみよかがみのエッセイストには、老化による記憶力の低下はちょっと早いかもしれないけれど(笑)。
人生100年時代、それぐらい期待してもいいかな?