「食べない」ことをやめられない。痩せて周りの気を引きたかった

本当は、私は食べたかった。しかし、それを許さない16歳のもう一人の私がいた。
私が、食を拒むもう一人の私に勝った瞬間のことを、まだ鮮明に覚えている。チェーン店のうどんの1本目、おそるおそる口に運び、喉を通っていった瞬間、食べてよかったと心から思った。
あの時、うどんを食べる選択ができたから、今私はここにいる。

高校2年生の秋、私は食べることをほとんどやめてしまった。きっかけは痩せたいと思ったことからだったが、今考えれば当初から発病していた精神疾患の症状の一つだろう。
標準体重よりやや軽かったくらいの私の体重は、みるみるうちに生理が止まりかけるほどに落ちていった。それでもまだ、食べないということをやめられなかった。

1日に口にしていたのは、乳酸菌飲料の小瓶1つのみという日もあった。痩せるほどに心配してもらえることも快感のひとつであった。
胸は肋骨が浮き、太ももの間には大きな隙間ができ、皮が余ってとても綺麗な痩せ方とは言えなかったが、とにかく体重が軽くなればそれで良いと考えていた。

痩せて周りの気を引きたいという思いは加速していき、とうとう仮病で総合病院を受診することになった。
ところが、この総合病院で、実は食事を摂らなかったせいで腸炎になって潰瘍ができかけていることが発覚する。
16歳のうら若き私は、大腸カメラであられもない姿を若い男性医師に見せることとなった。
内視鏡手術ののち、絶食と入院が言い渡された。

絶食は全く問題がなかった。むしろ、その後の病院食をどうやって残そうか、そればかり考えていた。
食べずにいると、点滴で栄養を入れられてしまう。かといって食べると体重が増えてしまう。
そんな考えを巡らせていた私に、医師は言った。
「あなたより痩せている人は、もっとたくさんいるからね」
この言葉がきっかけとなり、私はどこまでも終わりの見えない痩身願望から解き放たれた。私がどこまで努力をしても、上には上がいるのだと知ったからだ。
もう一人の自分との闘いの時が、迫っていた。

無理して痩せても一番にはなれない。私は、私に勝利した

そしてその時は訪れる。
退院後、病院の周りの景色も大きく変わり、いつの間にか銀杏は葉を落とし、冬の気配が漂っていた。
父は退院を喜ぶような言葉を紡ぎながら車を走らせ、母も安堵したように助手席に座っていた。
私は、まだもう一人の自分と闘っていた。

その足で向かったチェーンのうどん屋で、釜揚げうどんの小サイズを注文した。消化に良いものであれば食べられるだろうという両親の配慮だ。
しかし、私はなかなか箸を持つことができなかった。
食べたら体重が増えてしまう。
その考えがどうしても拭えずにいた。

目の前の両親の心配そうな顔をチラリと窺い、食べることを拒絶する自分をいさめた。箸をゆっくりと手に取り、うどんを一本、震える手でつまんだ。
すすることはできず、一口ずつ噛みながら、時間をかけて一本を食べ切った私は、両親の安心した顔を見てホッとした。
そして、それと同時に久しぶりにきちんと食べた食べ物の美味しさに、もう一人の自分と闘う意欲が湧いてきた。

「私よりも痩せている人はたくさんいる。私が無理して痩せても一番にはなれない」
そう言い聞かせ、うどんを一本、また一本と口へ運んでいく。気がつくと、かなり時間はかかったもののうどんを完食していた。
この瞬間、私はもう一人の自分に勝利したのだ。

実は、もう一人の自分はつい最近も現れる。痩せたいという願望としてだったり、また違った気持ちであったりと様々だが、食べられなくなったり、食べ過ぎたりすることで私の体重は1年で10kg変動するようになった。
しかし、このもう一人の自分に一度勝利することができた、うどんを食べるというあの決断があったからこそ、私はもう一人の自分とうまく付き合い、共に歩むことができているのである。