周りの女の子が華やかな色の飛行機を作るなか、私は緑を選んだ

私のピンクに関する最も古い記憶は、幼稚園での工作である。
胴体が赤か青、両翼がピンクか緑、プロペラがオレンジか茶色だった。各パーツを1つずつ選んで飛行機を作るのだ。
女児は赤・ピンク・オレンジの飛行機をつくり、男児は青・緑・茶色の飛行機をつくっていた記憶がある。多分、ほぼ全員が同じ色の組み合わせで。
そんな中、私の飛行機の両翼は緑だった。確か、ぼんやりして先生の話を聞いていなかったのだ。緑の両翼はあまりものだった。

幼い私は、自分の作った飛行機が気に食わなかった。他の女児たちが作った赤・ピンク・オレンジの飛行機は華やかで愛らしく映った。自分が先生の話を聞いていなかったことも、ばつが悪かった。
「なんでひとりだけ違うの?緑が好きなの?」
幼稚園児というのは時に残酷だ。私だってピンクの両翼がよかったよ、と思いつつも言い返せなかった。平気なふりをしながら心の中はもやもやしていた。

何かがおかしい。だが、幼い私は言語化することができなかった。
別に自分の飛行機が緑の両翼を持っていたっていいじゃないか。幼い私は反動のようにピンクを嫌った。ピンクは私にとって「とりあえず女性が喜ぶ色はピンク」という社会からの侮りように思われた。

あのときの違和感は「女の子なら」という価値観に対するもの

今、大人になった私が、幼稚園生の自分に掛けてあげられる言葉があるとしたら、「個人の好みを無視されて、『女児はこういうものが好き』とカテゴライズされている気がして嫌だったんだよね」になるだろうか。

飛行機を工作するとき、誰かに強制されたわけでもなく、男児と女児がそれぞれ同じ色を組み合わせたこと。言語化できなかった気持ちの正体は、女児は明るい色が好きだろう、という大人からの声なき圧力に自分が迎合できなかった心もとなさ。
または、まだ生まれてから数年しか経っていない仲間たちに強く刷り込まれた、女児は明るい色を好むべき、という価値観に対する違和感だったのでは、と考えている。

幼稚園で工作した飛行機に全ての原因があるわけではないが、私は現在に至るまで、暗めの色を好んできた。暗めの色の方が、自分で好きなものを選んでいる、という感覚があった。
だが、ここ数年変化が起きている。手持ちの小物にピンクが増え始めたのだ。

今なら違和感なく、赤・ピンク・オレンジの飛行機を作れる

最初はボールペンだった。頂き物で、書き心地が大変なめらかで愛用している。次はスリッパ。ドラッグストアで安売りされていたが、ふわふわした肌触りが気に入っている。最近はカーディガンを買った。くすんだピンクの色味が絶妙で可愛らしい。
あとは……ちょっと待って、こんなにも私の部屋はピンクのものに溢れていただろうか?
私はもしかしたら知らないうちに、「とりあえず女性が喜ぶのはピンク」を違和感なく享受する人間になったのか?
いや、それとも純粋にピンクを好きになり、選択しているのだろうか?

自分でもよく分からない。なんとなくだが、淡いピンクのものを選んでおけば正解な気がする。愛らしく、優しい、控えめな色。
今記憶をもったまま、幼稚園児の自分になれたら、私は間違いなく赤・ピンク・オレンジの飛行機を作るだろう。ピンクを選ぶことに違和感のなくなった、25歳の私は。