最近、こんなことをふと考えた。
「なんで、私はパイロットにならなかったのだろう?」
幼稚園生くらいの頃だったか、私は空を飛ぶことに強い憧れを抱いていた。
午前中の天気のいい日には、当時住んでいた家のベランダから富士山が見えた。空気の住み切った空に、空の色とはまた違う青色の富士山と、頂に積もる白が映えて見える光景が綺麗だったので、近くで見てみたい、という欲望を、幼いながら抱いたのだった。
空を飛べば公園へ遊びに行くのと同じくらいの気軽さで富士山へ行けるのにと、空を眺めながらよく空想していたものだった。
パイロットにならなかった理由の一つは、魔女に憧れていたから
空を飛ぶことに憧れていたのだから、それが長じて、パイロットをはじめ空を飛ぶことに関連する職業に携わる未来も十分あり得たかもしれない、という考えがふと頭をよぎった。
しかしそうならなかったのは、ファンタジックに飛ぶことばかりを考えていたからだ。
当時の私は「魔女」にもまた憧れていた。魔女に憧れたきっかけで一番古い記憶は、ジブリアニメで有名な『魔女の宅急便』の主人公・キキだ。
キキは箒に乗って空を飛べるし、黒猫のジジとも話せるし、特技を活かした仕事もしている。幼稚園児にとって13歳のキキは立派な魔女でお姉さんに見えた。
『魔女の宅急便』以外にも、魔法を使って変身するような女児向けアニメや、他の魔女の出るアニメを観続けてきたものだから、自然と「大きくなったら魔女になれるんだ」と思い込むようになっていた。竹帚にまたがってぴょんぴょん飛ぶ練習も、かなり本気でやっていた記憶がある。「大人になったら」ちゃんと飛べるようにと、熱心に箒と向き合っていたのだ。
同じ空を飛ぶことだったら、同じジブリアニメの『紅の豚』のポルコ・ロッソとその飛行機に憧れてもよかったはずだ。(可能性は低いだろうが)女児向けアニメに影響されず飛行機の方に憧れていたら、将来パイロットになるという夢を抱くか、または大学で理系科目を専攻していたかもしれない。
たしか『紅の豚』は『魔女の宅急便』の後に観た。これで観るアニメの順番が違っていたら、人生が変わっていただろうか。
『マジックツリーハウス』に出会わなかったら、どうなっていただろう
人生が変わるといえば、小学生の頃にこれを読んでいなければ、今の私にならなかったであろう、といえるものがある。小学生の頃に読んだ児童書の『マジックツリーハウス』シリーズである。
中に入って本を指さして「ここに行きたい」と言うと、その本に書かれている国や時代に行くことができる不思議なツリーハウスがあり、主人公の二人の兄妹が、ツリーハウスを使って問題を解決するために冒険する物語である。
当時はこれにハマり、本屋で単行本を見かけたら親にねだっていた記憶がある。このシリーズは史実や神話を基に話が作られており、私はこれを通じて古代ローマや古代ギリシャ、ヴァイキング、タイタニック号、ケルト神話など、様々な国の歴史や文化に触れ、歴史に興味を持った。今思えば、これを読まなければ大学で史学なぞ専攻しなかったであろう。
これでもし、『マジックツリーハウス』に出会っていなかったら、私はどうなっていただろうか。小学生の頃、父が車好きで、父が買ってきたミニカーやらラジコンやらに囲まれた生活をしていたので、車に興味を抱く未来もあったかもしれない。そうであれば、高校卒業と同時に運転免許を所得し、ドライブが休日の楽しみになる私になっただろうか。
多種多様な小さいきっかけに出会えるように生きていこう
このような昔の出来事を振り返ってしみじみと感じることは、人間は小さな出来事の一つで人生が変わるものだ、ということである。だからこそ、人生を豊かにするためにも、多種多様な小さいきっかけに出会えるように生きていこうと思った今日この頃である。
特に最近は、日々の仕事や雑用に追われ、自分の好みのものやいつも親しんでいるものしか目に入っていない。今の私も依然車には興味がなく、読む本は歴史関連や小説ばかりである。似通ったことの連続では、今後の人生に劇的な変化は起こらない。
大人となった今、理性的にあえて自分の好みとは真逆のものを選ぶことができるのだから、冒険しよう。