伊藤忠商事が、社内の49歳以下の女性社員の出生率を算出し、公表したというニュースを見た。
国が算出している出生率を上回ることから、働き方改革が進んでいることを裏付けるデータであり、子育てとキャリアの両立が可能なことを示しているという。
記事を読みながら、女性は全員子どもを産みたがっていることを前提とした指標だな、と遠い目になった。
このデータの中で、男性はどこへ行ったのだろう。性別と年齢でひとくくりにされて、子どもを望んでいない女性まで母数に入ってはいないか。
アトピー、父親のこと。生まれてきたくなかったと思った過去
私は少し前まで、人間は生まれてこないほうが幸いだ、と強く思っていた。
一度も、子どもをほしいと思ったことがなかった。
その考えに至った要因は、いくつか思い当たる。
思春期に何年も激しいアトピーに苦しめられ、自分の身体を呪ったこと。
今でも、疲れが溜まったとき、夢に見る。あの頃の皮膚に戻った夢。ぞっとするほどひび割れて、膿が止まらない皮膚。体温調整ができないほど剥がれ落ちて、皮のないトマトのようだった皮膚。
恐ろしい肉体に閉じ込められ、意識がある限り自分の身体で安らぎを感じることができなかった。
心底、生まれてきたくなかったと思った。
小さいときから、家族が揃った時間をあまり楽しいと思えなかったこと。
父がいつも不機嫌で家の中を支配していた。家族で出掛けても、父の機嫌ばかり気にしていた。
時たま上機嫌なことがあっても、その反動で機嫌が悪くなることが分かっていたから、安心できなかった。この人はなぜ子どもを設けたんだろう、と不思議だった。
生活が変わっても「生まれてこない方が」という考えはそのまま
上京してひとり暮らしを始め、アトピーが寛解したら、生まれてきたくなかった、という思いは下火になったが、「人間は生まれてこない方が幸いだ」という考えは変わらなかった。
さみしさを押し殺してひとりで暮らして、洗濯をしたりご飯を食べたりお風呂に入ったり、自分の面倒を見るのはなんて大変なんだろう、生まれてくるということは、死ぬまで自分の世話をし続けることだ、と思った。
就職すると、またもやその思いは強まった。
仕事に馴染めず、東京に居続けるために絶対に仕事を辞められない状況で、こんなにも大変な労働というものをしないと生きていけないのなら、「人間は生まれてこない方が幸いだ」と思った。
楽しいことや幸せなこともたくさんあったが、根底には苦痛や不安が敷き詰められていて、その上にたまに咲く楽しみや幸せは、すぐに枯れて消えてしまうように感じていた。
やっと、「生まれてくることは悪いことばかりではない」と思うようになったのは、ここ2、3年のことだ。
夫との日常の中で、やっと私は子どものことを考え始めた
結婚して夫と日常を作っていく中で、なんということもない時間に心から安らぎを感じ、笑顔がこぼれるようになった。
苦役のように感じていた日々の営みも、夫と協力して、褒め合ってご飯を作ったり洗濯をするのは楽しかった。
同時に仕事も軌道に乗り始め、自分が活躍できる場として楽しめるようになってきた。
やっと、人生が「苦痛と不安の中にたまに楽しいことがある」ではなく、「毎日幸せで楽しいけれど、たまに嫌なことがある」に逆転し、その状態を安定して保てるようになったのだ。
そうなってからやっと、私は子どものことを考え始めた。生まれてから28年も経っていた。
日々を幸福に暮らす中で、ここに私と夫の子どもがいてくれたらもっと楽しいだろう、幸せだろうという思いが柔らかく芽生え、心を灯すようになったのだ。
夫はとても愛情深いし、この穏やかな家庭ならば、来てくれる子どもにとっても、良い環境と言えるのではないか、と思った。
望む、望まないの裏側には、それまでの思いと経験の積み重ねがある
もちろん、人生は賭けだ。私のアトピーが寛解したのも、東京の大学に進学できるだけの経済力と親の理解があったのも、夫に出会って結婚できたのも、仕事が軌道に乗ったのも、全て運だ。
死に物狂いで努力はしたが、あんなに頑張って約30年もかけないとここに辿りつけないのであれば、生まれてこない方が楽なのかもしれない、と今でも少し思う。
努力は報われないことも多いし、心身が壊されてしまうような暴力的な出来事に遭遇しなかったのは、本当に運でしかない。
これから何が起こるかわからないから、人生最後の日にどういう気持ちでいるかわからない。
社会に向けて言いたい。
子どもを望む、望まないの裏側には、私たったひとりだけでも、これだけの思いと、生きてきた一日一日の経験の積み重ねがあるんです。
ここに書いた思いも、状況も、生きている限り少しずつ変わっていくから、固定できるものなんてないんです。
性別と年齢でひとくくりにして、産んだ、産まなかったを計算して発表するのが、そんなに重要なことなのでしょうか。