「俺たち、結婚する可能性ってあると思う?」
彼氏にこんな質問をされた夜は、眠れなかった。
おとぎ話や恋愛ドラマでは、「いい感じ」の雰囲気になると、いつの間にか「プロポーズシーン」になり、両家の顔合わせや結婚式の段取りといった、非常に気を遣う、夫婦になるための特別準備業務をすっ飛ばして、幸せたっぷりな新婚生活を迎える。
「結婚する可能性ってあると思う?」なんて聞いてくる王子様はいない。
お互いの認識を確認する、とても重要な質問であるはずなのに、この質問をするのはすごく勇気がいる。
そして、答えることにも勇気がいる。
「いつか結婚するかも」と思っていた。でも人生は結婚だけじゃない
「俺たち、結婚する可能性ってあると思う?」
そう聞かれて、私は思わず黙り込んでしまった。
「ある……と思う」
「そっか。でも、“可能性ある”って、確率でいうと1%から100%までだよね」
心のなかで「確率は何パーセントなんだろう」と思った。
私は20代前半。
人生設計では「いつか結婚するかもしれない」と思っていた程度。
いわゆる「結婚適齢期」を迎えようとする年頃。
周囲に既婚者や子ども持ちが少しずつ増えていくと、「そろそろ私も……」という感覚が生まれてくる。
周囲には、「職場に出会いがない」と言ってマッチングアプリに登録した友人や、「私、20代後半で結婚して子供も産みたいし、付き合ってすぐ結婚するのも嫌だから、そろそろ相手見つけないと間に合わない」と焦る友人がいる。
私は、「結婚」にはとらわれていないし、「結婚」にこだわりたくない。
愛する2人が結ばれる手段は、結婚だけではないと思うから。
「人生を共に過ごしたい」という気持だけで十分じゃないのかな
「結婚」の意味って何だろう。
日本において、「結婚」には「配偶者控除」といった社会保障制度上の優遇が得られることや、同じ「戸籍」のなかに入って、どちらかが世帯主になって、同じ苗字を持つという、社会生活上の「夫婦」として確固たる地位を証明できるというメリットがあると思う。
事実婚では、仮に子供がいたとしても現在の日本では共同親権が持てない。
また、苗字も戸籍も異なる事実婚では、配偶者であることの証明は難しく、住居を借りる際や病院での手術の同意書など、配偶者としてサインをすることができない。
日本で子供を生み、育てたいと思うのなら、子どものためにも籍を入れておく必要があると思う。
居心地の良い人と、ただ隣にいてくれるだけで幸せを感じる人と、意識しなくても同じ歩幅で歩ける人と、一緒に人生を過ごしていくということを、「結婚」という紙1枚で完結する社会的仕組みに当てはめる必要はない。
社会的な不利益を理解した上で、あえて籍を入れないというのも一つの選択肢だと思う。
名字が同じじゃなくても、同じ家に住んでいなくても、お互いがお互いを尊敬し、「好き」が止まらなくて、「人生を共に過ごしたい」と思っているのなら、それだけで十分じゃないのかな。