私が環境問題に興味を持ち始めたのは小学生の頃だった。地元で大きな国際イベントがとり行われ、そのテーマが環境だったことが大きな要因だった。
私は半年ほど行われていたそのイベントに親に連れられては何度も何度も足を運んだ。当時小学生だった私は、大人たちが作った関心を持ちたくなるようなしかけに、純粋に影響される素直さを持ち合わせていた。そのため、環境問題を解決したい!と強く思うことは自然な流れだった。
つけっぱなしも、使い捨てもする。本当に環境問題に関心があるのか
そのイベントを通して、二酸化炭素を悪のように感じた私は、一人一人の小さな努力が解決に向かうと信じ、息を止める、といった無意味な努力から始めていた。そんな、ある時、環境問題解決に向かいそうな技術に出会った。それからはその研究に従事したいと願うようになり、実際に研究をふるようになり、今に至っている。
研究していますというと、じゃあエコを意識して生活しているの?、とよく周りの人に聞かれる。正直なところ答えはノーだ。
冷暖房はつけっぱなしだし、使い捨てはするし、エコ商品など関心は持っていない。正直本当に環境問題に関心があるのか私自身も不安に思う時がある。
セミナーに参加すると熱心な活動家が多く、驚かされることが多い。私は環境に興味があります!研究しています!と言っておきながら、活動家の足元にも全く及んでいない。
環境問題に関心を持ち研究している私がそんな自堕落な生活をしているのだから、一般の人は特にエコを意識せず生活している人が多いだろう。いやむしろ、私はそういう一般の人以上に何もしない生活を送っているかもしれない。
自分を肯定するわけではないが、そういう私みたいな人たちの意識が変わらない限り、解決に向かうことはないと考えている。
私がエコ生活をしないのは、しない方が簡単で快適だから
そこで私は、なぜ自分がエコ生活をしないのか考えてみた。
冷暖房をつけっぱなしにする理由、それは簡単、快適だからだ。特に冷房はつけないと熱中症になる恐れがある。私自身つけずに寝て脱水症状になったことがあった。では次になぜ使い捨てをするのか、それは楽だからだ。なぜエコ商品を買わないのか、高いからだ。
めんどくさがりで、わがままな私は常に楽な方を選択して生きてきた。エコだから、ではなく、その行動をすることで目に見えた利益を得られるようにならない限り、生活は改善はしないだろう。だからこそ、たまたま手に取った商品がエコな商品でした、といったような状況を作らない限り、解決は遠くなってしまう。
普通の生活がエコになる、そんな社会を作るのが私の使命
しかし私は気がついた。そういった社会になるように、技術を研究するのが私なのだと。普通の人が普通に生活するとエコになる、そんな社会を作る。それこそが私の使命なのだ。運がいいか悪いか、どうやったら関心のない人が動くのかは、自分自身が一番よくわかっている。そのための研究をすればいいのだ。
環境問題は正直、大きく複雑な問題になりすぎた。これが原因、これをすればいい、この人が悪い、と一概には言えない。かと言って何もしないとますます問題は深刻な方へと進行してしまうだろう。私は一人一人の小さな行動が解決に向かうと信じている。私が研究を行う理由、それに少しでも心を致すことが、私の行なっているちょっとしたエコな生活だ。