兄が離婚を決めた。幼い姪はニコニコと抱かれていた

姪っ子のお食い初めが終わった日の夜、兄は離婚すると言った。
生後4ヶ月の姪は昼間、何もわからないでニコニコと抱かれていた。結婚前から不安材料があったけれど、いざ目の前に現実が現れるとなかなかのダメージである。
今月の第1週にお宮参りを済ませ、月末の週末にお食い初めだった。きっと義姉は、突然のことに理由なんてわからず、混乱しているかもしれない。しかし家族を続けていくためには、父もこれ以上我慢できなかったらしい。そして兄も、もしかするとそうだったのかもしれない。

現実はドラマのように、腹を割って正直に自分達の意見を吐露する場面なんてあり得ない。私も兄と義姉の口から語られる事柄しか知らないし、それらの真偽や、あえて語られていないことを想像するのも時間の無駄である。
しかし私が不憫に思うのは、二人の間に生まれてきた姪である。子は自らが望んで生まれてくることはできない。もし本当に離婚が成立したとして、今後姪は、どんな人生を歩んでいくのだろうか。それを叔母として近くで見守ることができないのは、少し寂しく思う。

女に生まれたからには、子宮も卵子も一度くらい使ってみたい

女に生まれてきたからには、この子宮も、毎月排出される貴重な卵子も、一度くらい使用してみたい。けれど私一人で妊娠することはできない。どこかの誰かの、素敵な精子を入手する必要がある。
精子バンク……という手もあるけれど、育てていくにはどうしても仕事ができない時期ができてしまうから、その間に誰かに支援してもらう必要がある。
両親にいつまでも甘えているわけにもいかないし、国の支援では不十分。さらに未婚の母に対する風当たりはなぜか猛烈に強いらしい。
子どもが欲しいと思ったら、誰か安定した収入を得ている男性と婚姻関係を結び、産休・育休期間はその人に支援されながら生活するのが、最も妥当な方法である。

しかし、その相手が、肝心なのである。
27年間、恋人のできたことのない私の目の前に、そんな都合よく条件を満たした男性が現れる可能性は割と低い。というか、そんな人が目の前に現れたとしても、人を見る目のない私に気づけるのかさえ、危ういところである。
そして「出産」に対してここまで面倒なことを考えてしまう私が、お互いにずっと一緒に過ごしていきたいと思える人間がこの世界に存在しているのだろうか。だからと言って妥協して、適当な男性を選ぶのも心許ない。
「子はかすがい」とは言うけれど、「かすがい」にならない場合だって星の数ほどある。私の留学時代に師弟関係にあった先生は、2人とも3人の子持ちだったけれど、2人とも離婚してしまった。

姪が愛されていた証拠を残しておきたくて、アルバムを作った

結婚することは難しい。そんな中で、すでに子育てが始まっている友人を見ると、心から尊敬してしまう。
ある時、姉に、「妥協して頭の悪い人と結婚するくらいなら、一生独り身でいたい」とこぼすと、姉に「一生かけて、素敵な人を追い求めたら良いんじゃない?」と言われた。
しかし、出産にはタイムリミットがある。近年、初産の平均年齢は上昇傾向にあるけれど、それでも若くて体力のあるうちに出産は体験してみたい。そして出産したならば、全てが満ちた環境で幸せにその子を育てたい。義姉のように自らの行いのせいで、勝手に何かが足りない状況にしていいとは、私には思えないのだ。

知人のカメラマンに撮ってもらったお宮参りの写真をアルバムにしようと話していたのに、「もう作らなくていいから」とお達しがきた。けれど私は1冊だけでも作りたいと母に打診をかけると、承諾してくれた。
1冊だけ。忌まわしい思い出はできるだけ残らないように、しかし姪が愛されていた証拠を残しておきたい。そしてもし今後、彼らが離ればなれになって、姪が自分のアイデンティティで迷うようなことがあれば、その時に何か少しでも届けられたら、叔母としてできる小さな贈り物である。

あなたは生まれた時からずっと、私の大切な姪っ子のひとりなんだよ。
私にできることなんて、些細なことだけれど、私はあなたの幸せを願っています。