既婚の友達から聞いた、子どもの話。目から鱗の内容だった
出産。私に縁のない言葉だ。
相手がいるとかいないとかそういうことではなく、自分という人間が命あるものを育てるということが想像出来ない。子どもが子どもを育てるような、そんな感じがしている。
だから、同年代の友達で出産している子を見ると、すごいなあとただただ感心してしまう。
女性であるから、ぼんやりと出産については何度か考えたことがある。鼻からスイカとか聞くから、痛いんだろうなあとか。そういう類のことを。
だが、この前既婚の友達と会った時に、旦那と子どもの話になったと聞いて、その内容が私からすると目から鱗であった。
その友達は私と同級生で、たまに予定を合わせて会うことがあった。プライベートの話になり、旦那から子どもが欲しいと言われた、みたいな話をしてくれた。友達はそこまでものすごく子どもが欲しい、という感じではなかったようだし、なんとなくそれは私にも理解出来た。友達は旦那からそう言われて、すぐに賛同はしなかったそうだ。
その理由を聞いて、私も納得せざるをえなかった。
子どもがいない場合と比べ、明らかに仕事に割ける時間が減る
友達は旦那に言ったそうだ。
子どもを産むということには、色んなリスクが伴うということを。
まず、仕事について。
出産をするというのは、今日明日で出来ることではない。当然である。何か月という長い時間がかかる。その間、仕事は勿論休むことになる。退職する人もいるだろうが、ここでは退職ではなく休職する、と仮定して考えたい。
そして、出産したらそれで終わりではなく、今度は育てる段階に入る。また、ここでも時間を要する。つまり、子どもを育てている間、彼女のキャリアはストップすることになる。年単位でのブランクのようなものだ。
コロナ禍において働き方の選択肢は増えたであろうから、必ずしもブランクとは言えないかもしれないが、子どもがいない場合と比較すれば、明らかに仕事に割ける時間が減るのは事実だろう。
言われてみれば、確かにそうだなと思った。
「可能性」にキリはないが、それも含めて考えないといけない出産
また、仕事の次は、子ども自体についてだ。生まれてくる子どもの可能性だ。つまり、障害の有無とかそういった先天的なものが挙げられる。持病だとか肉体的な健康面。
そして、後天的なもの。どんな子どもに育っていくのか。大きくなってグレないか。勉強は、将来進むべき道は。普通に学校へ進学し、就職し、そういった人生を歩むのか、どうなっていくのか。
こういったことを中心に友達は旦那に話をしたそうだ。たくさんの可能性があるけれども、それでもいいのかと。産むのは確かに友達であるが、子どもが欲しいという気持ちは、おそらく旦那の方が強そうであったからだ。
この話をされた旦那は、それでも欲しいと言ったらしい。
例えば、子どもが夜泣きをしても、仕事を家でしなければいけないテレワークの状況で子どもにかかりっきりになったり、そういう可能性も含めてだ。
自分が旦那だったら、そんなことを言われても欲しいと言えるだろうかと思ってしまった。可能性の話であるから、産むまで分からないし考えればキリがないのだが。
そういった諸々のことを全てひっくるめて、出産というのは初めて成り立つというか、口にしなければいけないものに等しいのだと、友達の話を通して知った。
子どもを産む予定なんてないが、それ以上にそれくらいの覚悟が毛頭自分にはないことを、思慮が浅はかなことを知った。
出産に限らずだが、何か他の存在を背負えるくらいの心持ちに自分もいつかはなれるだろうかと、自らに問うている。