憧れのブランドのコスメや鞄。
好きな服を着こなせるスタイル。
好きを仕事にした理想の職。
関東という括りではなく東京に住みたい。
好きなときに使えるお金。
これら全てを手に入れたら幸せになれる……気がする。
だって周りの人はみんな持ってて、みんな幸せそうだから。
充実した生活に憧れた。しかし、現実は甘くなかった
顔の可愛いあの子は、新しいコスメを手に入れてはTwitterでシェア。
スタイルの良いあの子は、「このジムに通い始めました♥」と写真を撮ってInstagramでシェア。
バリキャリのあの人は、自分の芯を持った、カッコよくて私の憧れ。
東京のマンションに住んでるあの子は、終電を気にせずいつも夜まで遊べて楽しそう。
そしてこれらを叶えているのは、紛れもなくお金があるおかげ。
これを書いている私は、当然どれも持っていない。
だから、これらが欲しい。
14歳から東京に憧れを持ち、美容師になるために専門学校を20歳で卒業後、当たり前に上京して、美容師でお金を稼いで、東京に住み、TwitterやInstagramに写真を載せ、友達もたくさんできるものだと思っていた。
だけど、現実はやっぱり違った。
東京ではなく埼玉、来たのは22歳の春、美容師は挫折、たいしてお金も稼げず、Twitterも Instagramも必要性が感じられなくてアカウントを消し、大人になってからの友達の作り方が分からず、友達と呼べるのはLINEにいる2人のみ。
幸せとはなんなのか。その答えはいつも自分の中にある
私は何かをどこかで間違えたと思った。
だから、ひとつずつ自分に聞いてみた。
仕事の選択、埼玉にくる年、TwitterやInstagramは消さない方が良かったのか、もっと自分から友達を作りに行った方が良かったのか。
長い時間悩んで、何回も自分に向けて質問した。
でも、ある日私はふと思った。
ブランド物をたくさん持っている事が、友達がたくさんいる事が、東京に住む事が、TwitterやInstagramでコスメやジム通いを自慢する事が、お金をたくさん持っている事が、これら全てある事が本当に幸せか?
私は周りの人のために全部したいのでは?
私にとっての本当の幸せは?
今度は違うことを自分に聞いてみた。
答えは前者とは違った。
ブランド物は欲しいけど、自分にとって特別なときに買えたらいいな。
友達は分かり合える少人数だけで充分だ。
埼玉でも東京から近いところに住めているし、何より住む家があることは幸せでは?!
コスメはいつも使いきれないから、ちゃんと最後まで使いたいからひとつのものを長く使いたいな。
ジムに通わなくても、家でできる運動をしよう。
何かをすること、買うことにお金は必要だけど、たくさんあることが幸せではない。
ないものねだりからの卒業。欲しいものはすでに私の中にあった
視点を変えて自分を見たら、答えが全て180度変わった。
そう、私はすでに全てを持っていた。
「なぁ〜んだ!私、全部持ってんじゃん!」
そう思ったら心がとても軽くなった。
全然手に入れようとしてる時は「手に入れなくてはならない!」のような縛りがあったんだなと、この時わかった。
そして自分で自分に対するないものねだりを体験した瞬間でもあった。
この体験のおかげで、私は今ある物・今いる環境に感謝ができるようになった。
それくらいの頃から、買うものや思考が変わったのはもちろん、友達にも「なんか変わった?」と言われる事が多くなり、人間関係にも変化があった。
今まで心のどこかで合わないな……と思っていた人たちとの関わりが少なくなり、気が合う人たちとの出会いが増えた。
これも思考の変化なのかな?と思いながら、気の合う人たちともっと仲を深めていけたら良いなと思っている。
いま一番欲しいもの。
それは、もう既に持っていた。
もう既に私のものでした。