好きだったピンクから遠ざかり、個性を薄めてモノトーンになる
私は、ピンク色が好きだった。そして多分、キイロやミドリ色よりも私に合う色だとも思っている。
巷でイエローベースとブルーベースという区分がもてはやされるずっと前から、キイロよりピンク色だと感じていたし、実際に診断してみてもそうだった。でも、ピンク色は可愛すぎて、身に着けている私もすこしだけ苦手だった。
そしていつからか、好きだったはずのピンク色から遠くなってしまった。今、ピンク色を使っているのはアイシャドウとチークくらいだろうか。
社会に出てからは、服も小物も、新しく買い替える度に少しずつ、モノトーンに近づいて行く。そしてそれは、モノトーンを選んでいく私自身をそのまま表しているようだ。
幼いころは、色も形も好きな物を選ぶことが当たり前だった。その為にたくさんの時間を費やす事すら楽しかった。
そんな風に確かに持っていたはずの個性を少しずつ少しずつ薄めていって、私はモノトーンになっていく。それは、正しく生きるためかもしれないし、長く生きた分だけ狡く生き抜くための術かもしれない。
だって同じ系統の方がコーディネートを考える時に楽だし、使わない物が増える事もない。そんな風に、効率性を重視して社会でお仕事の出来る私になる程、私の好きな私、知っている私とは違う私が作られていく。それでも昔からの友人は、変わらないと言ってくれるけれども、それすら私が知らない私のような気がしていた。
このままでは私が分からなくなってしまう。突然言いようのないような、そんな焦りに駆り立てられる時がある。
好きな物を我慢するより、好きだった物が分からなくなる方が幸せかもしれない。きっとそうやってたくさんの物を置いてきた。それでも、私は失う前に気づいてしまった、ピンク色が好きな私を失いたくはなかった。
ピンク色。柔らかくて優しい春の色だと思う。それが似合うのはきっと、同じように柔らかくて優しい雰囲気の女の子なのだろう。そう思えてしまうから、そして私の知っている私がそのイメージからあまりにも遠くて、身に着ける事に気恥ずかしさもある。
でも、きっと私に似合う色で、そう思うからこそ好きになった色だった。
好きなものがわからなくなったときに買ったピンクのコート
私を見失わないために、通勤で着るのは恥ずかしいけれど、淡いピンク色のコートを買ってみた。どんな寒い日でも春を思わせるようなピンク色の。
そんなピンク色のコートを着ている私も、着ていない私も、どちらも私の知っている私ではないと思う。
着ていない私は社会に出て個性を失った私だし、着ている私は新しい私を知るためにチャレンジしている私だ。どちらの私も私だと認めてあげられたら幸せだけど、どちらにも自信は持てない。でも、私はチャレンジしている私の方が好きだ。
そして、そのコートを素敵だと褒めてくれる人もいる。私が認めてあげられなくても認めてくれる人がいる。そんな事実を感じて、ふと心が軽くなった。
たぶん、私はどこまで行ってもどちらの私も認めてあげる事は出来ないと思う。そんな中でも、私が好きだと思える私と過ごす時間が長い事が幸せだと思いたい。