普通でないことに敏感な世の中だと思う。
特に日本という国においては、普通でないことをすると、人の何十倍も賞賛と批判を受けることになる。
個性的と言われても、「着たい」と思える格好をしていた大学時代
大学生の頃の私は、いわゆる森ガールのような出で立ちだった。
茶色の髪にピンクや緑のポイントカラー、ふわふわに当てたパーマ、もはやいらないのではないかという程短く切られた前髪。
目の下にこれでもかというほどに乗せられたオレンジのチークに、それ以外は薄く薄く塗られた定番メイク。
おまけによくわからないキノコの刺繍が入ったニットや、何色使ってるの??と、つっこみたくなるようなカーディガンが戦闘服。
足元は茶色のフリンジのついたモコモコの靴を履き、友人には、
「集合の目印にもってこいね」
なんて冗談を言われた。
そんな格好の私を、ある人は「個性的で素晴らしい」といい、またある人は「変な格好」と言った。
確かに個性的な格好ではある。
自覚はあった。
けれど、テンションが上がるのだ。
真っ黄色のワンピースを着ている私を見ると、ペンギン柄のTシャツを見ると。
カラフルな洋服に包まれ、街中を歩くと楽しいのだ。
だから批判されたくないからといって、この格好をやめようとは思わなかった。
ただ、自分がその格好をしたかったから。
仕事の影響で見た目は一変。お褒めの言葉と共に批判も
時は移り、社会人になった。
やむを得ず暗いトーンに染めた髪、会社のルールに従った服、加えて夜の仕事を始めたことにより、見た目は一変。
"きちんとした""いつでもデートに行ける服"がデフォルトになった。
ヒール以外の靴は履かないし、革のかっちりしたバックしか持たない。
加えてスカートにピンクや白のニットが定番と化した。
あれだけ短かった前髪は跡形もなくなり、今では流し前髪に濃いめのアイメイク、そして赤いリップが定着した。
なのに今度は、
「いつでも綺麗にしてえらいね」
というお褒めの言葉と共に、
「男ウケしか考えていない格好」
と、批判を受けるようになったのだ。
大学生の頃の格好は、公式の場には不向きではあるし、なんとなく批判される意味が分からなくもないけれど、今の格好はどこに行っても引け目を感じることがない綺麗な格好をしている。
なのに不思議なことに結局、批判を受けてしまっている。
たまたま好みが人と違うだけ。私は好きな自分で生きていく
ならみんなと同じように膝下のスカートを履いて、3センチほどの、ヒールを履いて、肌色に馴染むリップを塗って、同じような出で立ちで出勤すればいいのだろうか。
ベージュのコートを着て、定番のブランドの鞄を持ち、薄めにひいたアイラインを武器に生きていけばいいのだろうか。
そんなのは嫌だ。
濃いめのリップを引くと一気に自分に自信がつくし、キラキラしたシャドウを見るとウキウキが止まらない。
ヒールを履くと、女としてグレードアップした気になるし、色物好きの私ははっきりとした色合いのものを着るとテンションが上がる。
メイクができない今は可愛いフリルのついたマスクが戦闘着だ。
つまり、自分自身の機嫌を取る為にもこの格好はやめられないのだ。
別に目立ちたがりなわけじゃない。
たまたま好みが人と違って、たまたま自分の好みが派手なだけ。
仮に私がみんなと同じような格好で同じようなメイクで歩いたって、結局誰かに、
「地味だね」
「量産型人間だね」
なんてことを言われてしまうのだ。
だったら私は毎日好きなものを着て、好きな顔を作り上げて、自分のご機嫌を最高潮に上げながら毎日生活していきたい。