仕事に行き詰まり体調を崩す私に、恩師は「休んでもいいよ」
私がずっと捨てられない物は、看護学生のときに使っていたテキストです。テキストには、書き込みや付箋がびっしりとあり、手垢で紙が茶色くなっています。
読み返す度に、思い出すエピソードがあります。
私が、母校へ行き、恩師に会ったときのことです。そのときの私は、仕事に行き詰まり、体調を崩していました。先生にお会いしたときの私は、表情が暗かったことを覚えています。
先生は、ただただ、私の話を聞いてくれました。そして、「休んでもいいよ」と優しく言葉をかけてくれました。
学生の時は厳しかった先生の言葉に、最初は戸惑いました。でも、先生の真剣な表情や深い声のトーン、穏やかな雰囲気が、胸に残りました。「この方は、私のことを本当に心配してくれているのだ」と感じました。
体調を崩すまで、仕事をするよりも、休むのだ。私は生きる道を決めました。退職し、自分と向き合う時間を取ることにしました。不安はありましたが、後悔はなかったです。この職場で私に出来ることはやり切ったのだ、という気持ちが背中を押してくれました。
学生時代は分からなかった、先生の「自分を大切にしなさい」
休んでいる間、何度も、テキストを読み返しました。思い出すのは看護学生のときの会話です。
先生方は、「自分を大切にしなさい」と生徒に声を掛けていました。先生がおっしゃった、言葉の意味や思いが、学生のときは分からなかったです。大人になってもう一度、その意味を考えました。
自分に余裕があるときは、相手に優しくなれます。でも、常に優しくいることは難しい。自分を大切にできて、初めて人を大切に出来るのだと分かりました。
先生方とのやり取りを思い出すと、常に生徒と真剣に向き合ってくださいました。その姿勢を見て、相手を自分と同じくらい大切に思えるようになりたい、と思いました。
先生は資格を取得するだけでなく、人としてどう生きるかを教えてくださったのだ。厳しかった指導も、卒業後に社会で生きていくために、大切なことを教えてくれていたのだ。
それが分かった時、先生方の深い愛を感じました。
知識を与えてくれたテキストを、大人になった今、手に取る理由
一生懸命に勉強したことも、仕事に取り組んだことも、全て、大切な時間だった。目の前のことに真剣に取り組んだ日々は私の大切な時間だった。心の豊かさは、相手を思いやる気持ちだったのだ。
そう思ったとき、これまで出会った看護教員、患者さん、クラスメイトに心の底から感謝の気持ちが湧き上がってきました。
今は、看護師の仕事にこだわっていないです。たくさんのことに悩んで、苦しんだ私だからこそ、困っている人たちの気持ちを想像できる。相手の心に届くような、温かい声掛けができると思います。今は、友人や家族に囲まれて、毎日幸せに暮らしています。
学生のとき、テキストは、知識を与えてくれる物でした。今でも、テキストをめくることがあります。
テキストを手に取ることは、私にとって、心の中の自分と向き合う作業です。本当にやりたいことは、時間をかけて、これから見つけていこう、焦らずに進んでいこう、と声を掛けてくれるように感じます。