私にとって捨てられないもの、それは積ん読である。

私の家には本がたくさんある。雑誌、小説etc……。小説なんて特に、本屋や古本屋に行くたびにタイトル買いを繰り返してしまったので、たくさんある。本の数に対して読む時間があるわけでもないので、読んでない本がどんどん貯まる。
紙は軽いが、数がかさめば重くなる。しかも幅をとる。本イコールの塊と言ってもいい。だからだろう。気づいた時には床がなかった。
文字通り積ん読。まだ読んでない雑誌が高く並べられた積ん読タワーがあちこちにできていた。

捨てれば部屋が広くなると分かっていても、気が重くなる

週刊誌の漫画は母が買ってきたものを借りて、読み終わったら捨てるようにしていた。……が、大学時代に年単位で続いた忙しい期間を経て、今も読みきれずに出来てしまった山がある。
正直なところ、どこまで読んだか、どこから読めばいいのかわからない。最新のものを確認したら、知っている漫画がほぼなかったものもある。

諦めて捨てれば、部屋に空きができる。しかし、なんとなく湧いてきてしまうもったいない精神と、紐掛けの労力と、それをゴミ捨て場に運ぶ労力を加味して考えると、どうしても気が重くなってしまう。

それに加えてだ。買うだけ買って読んでない小説本や漫画。こちらは読んだら捨てずに売ろうと思ってはいる。けれども、売るまでの労力を考えるとどうにも気が進まない。
そういうわけで私の部屋には、床がいつか抜けるんじゃないかと思えてくるほどの積ん読ゾーンができている。縦に積まれた積ん読たちは、タワーというよりもビルに似ている。それが複数なので、遠くから見たらビル街だ。割と本気でどうにかしなければと思ってはいる。思っているだけ。

週刊誌は減りつつあるが、捨てたらもう手に入らないものもある

実は小説の山……はまだまだなのだけど、週刊誌の方は減らしつつある。一気に読むのも運ぶのも時間と労力的にしんどいので、週に一山を目標に隙間時間に消費し始めた。
隙間時間……何か始めるには足りないけどちょっとした暇な時間に、載っている漫画の二つ分から三つ分くらいの消費時間にちょうどいい。

一山とは言っても、読めて五冊から六冊のペースだ。他の時間も費やして集中して読めばもっとペースを早めることはできるけれど、あくまで隙間時間だけ読むことにこだわる。優先度を間違えると日常生活を圧迫しかねないからだ。

こうして週刊誌の積ん読問題は解決の糸口が見えつつある。……が、雑誌の中にはこれを当てはめられないものがある。それはピンナップや特集記事、インタビュー記事をまとめたアニメ雑誌や月刊誌だ。

これは一度手放すと二度と手に入らない可能性があるという理由で、扱いに困る。あとこれも捨てるよりは売る方にしたい。なぜなら、欲しい人の手に届いて欲しいから。
とは言っても、このようなアニメ雑誌は増えることはあっても減ることはまずない。インタビューなんかはとくに、公式がインタビューや紹介記事をまとめた本なんかを出さない限りは、そこにしか載っていない情報になってしまうから。情報のソースが曖昧になると困る。だから手元に置いておきたい。そうすると捨てられない。

買うのは簡単、捨てるのは面倒。また積ん読ビルを建設する

結局のところ、積ん読の処理をする時の判断基準は、一度手放しても、再び入手することができるかどうかにかかってきてしまう。
一番捨てやすいのは週刊誌などの漫画雑誌。読みたくなったら単行本を買えばいいだけなので、捨てるハードルは低い。しかし重さがあるので、まとめて捨てるには労力がかかる。

次に小説本や漫画本。絶版にでもならない限りは、本屋やネット、古本屋で入手しやすいので、流通数にもよるが手放すことに対する抵抗感はそんなにない。……が、売るならば売るまでの手順が面倒なのと、一つ一つの文量を考えると読んでから手放すまでに時間がかかる。

捨てるまでのハードルが高いのはアニメ雑誌や月刊誌。流通数にもよるが、一度手放すと入手しづらいものもある。載っている情報が他の媒体に保存されていない可能性がある。
こんなところだろうか。

積ん読が捨てられない理由。長々とここまで書いておいてだけれど、オブラートに包まず率直に答れば「買うのは簡単、捨てるのはめんどくさい!」に限る。
言い換えれば「入手するのは簡単、手放すまでが大変」とも言える。
今日も自室の壁際に出来た積ん読ビルの一角の取り壊し作業を行いつつ、新たな積ん読ビルを建設する。更地になる日はたぶん来ない。