高校時代、私は友達が1人もできなかった。お昼も1人で食べていたし、一日中言葉を一言も発しないことも普通にあるくらい大人しかった。
学業成績は200人中160位くらいで、運動もまったくできず、見た目も可愛くない。はっきり言って誰がどう見ても何の取り柄もない子だった。

劣等感ばかりの学生生活で、私を支えてくれた「理想の自分」

転機となったのが、保健室での出来事だ。
高校2年生の時には過敏性腸症候群にもなり、教室で授業を受けることすら難しい状態になった。それで一時期保健室登校をしていた時、養護教諭に志望大学を聞かれた。それで都内の私立大学を答えると、「そんな大学、上位10%くらいの成績じゃないと行けないじゃないのよ!」「行きたい大学じゃなくて行ける大学に行くんだよ!」と完全否定されてしまったのだ。

私の実際の成績も知らないだろうに、保健室に来るような怠けた生徒がそんなにいい大学に入れるはずがないと思ったのだろう。自分の味方だと思っていた養護教諭が内心私を見下していたのが分かり、ショックを受けた。

当時の担任には、「友達がいれば授業に出られるように誘ってもらえるんだけど」と言われた。私が教室に入れないのは過敏性腸症候群の症状が原因であり、友達に誘ってもらったからといってどうにかなるものではない。
病気に対する理解が皆無な上、友達のいない私を可哀想がっているのが分かって、とても嫌だった。

何の取柄もなく、劣等感が膨らむばかりの学生生活で、周りの大人も大嫌いだった。
そんな私の支えとなったのが、“理想の自分”の存在である。

理想の自分は実在する。だから現実の自分を直視できなくなった

周りから馬鹿にされればされるほど、“理想の自分”はどんどん肥大化していった。有名大学に受かって周りの人たちを見返せるはずだと、心のどこかでずっと思い続けていた。“理想の自分”が実在すると思い込み、何の取り柄もなくてどうしようもない現実の自分を直視しないようにしていた。
結果として、養護教諭に言った志望校よりもワンランク上の大学に合格した。

世間一般では“ありのままの自分”を受け入れるよう勧められ、理想を高く持ちすぎることはあまりいいように語られないが、私はむしろそういうものに生かされてきたのだと思う。大きく欠けた自尊心を、妄想上の“理想の自分”で埋めていたのだ。

自尊心が削られて小さくなればなるほど、“理想の自分”の存在は大きくなる。それはつまり、“理想の自分”が幻になった時の喪失感もそれだけ大きくなるということだ。
私が志望大学に受かっていなければ、冗談抜きで駅のホームに飛び込んで自殺していただろう。それくらい、私の中の“理想の自分”は肥大しきっていたのだ。

一度消えたはずの「理想の自分」は、まだ肥大し続けている

憧れの大学に入学しても相変わらず友達はできなかったし、彼氏もできなかった。どのバイト先でも使えない奴扱いだったし、新卒で就職した会社はうつ病で辞めた。社会に出て、私は人よりちょっとお勉強ができるだけの役立たずな人間だということを思い知らされた。今はほとんど無職に近い状態で、もうすぐ30歳になろうとしている。

今でも時々妄想する時がある。仕事で成功して、見た目も今よりずっと綺麗になった私を。

19歳の時に1度は姿を消した“理想の自分”は、さらに10年かけて肥大し続けている。