自分の遺伝子を持つ生き物を愛せるって凄いと思った

自分のことすら愛せないのに、自分の遺伝子を強く持つ生き物を愛せるわけあるか、と思っています。

精神を患った頃から、自己肯定感が著しく低くなりました。もともとは、特別高くも低くもなかったはずでした。精神を患い、わたし以外がキラキラとした何かに見えたとき、この世で自分だけが酷く醜く見えました。当時長く付き合っていた彼氏に「将来結婚したら子供が欲しい」と言われてドン引きした記憶があります。
彼が悪いわけでも、彼の考え方がおかしいわけでもないと思います。ただわたしがひねくれているだけです。「自分の遺伝子を持つ生き物を愛せるって凄いなぁ」と思っただけです。

わたしも23歳になり、周りには親になった友人もいます。両親に孫の顔を見せることは親孝行のひとつなんだろうな、とも思うし、実際に両親が“孫”という存在に憧れていることも感じています。
「〇〇ちゃんち子供できたんだって」
「〇〇さんのお孫さんの写真見せてもらった」
せっかくうちは姉妹なのに、まだまだ気配がありません。妹は18歳の学生なので、きっと今有望なのは23歳社会人のわたしですね。相手すらいなくてごめんなさい。

どこかが自分に似た生き物を、わたしは憐れに思うでしょう

もちろんわたしも、両親に孫の顔を見せたい。孫を抱いてほしい。2人をおじいちゃんとおばあちゃんにしたい。そういう気持ちは持っています。でもそれ以上に、自分の子を愛せる自信がない。

きっと、少なからず自分に似た生き物が生まれるでしょう。見た目が似てなくても性格が、性格が似てなくても体質が。どこかが自分に似た生き物を、わたしは憐れに思うでしょう。わたしに似たのね、可哀想に、と。

もちろん妊娠出産には相手が必要です。一生を添い遂げられるような、心から愛するパートナーの遺伝子を持つ子であっても、わたしの遺伝子を持つ時点で愛せない。パートナーにそっくりでも、パートナーが我が子を愛しても、わたしは愛せない。わたしの体内から出てきた生き物を、わたしは愛せない。

「妊娠すれば考え方も変わるよ」
その根拠はどこに?変わらない根拠はないけど、変わる根拠もなくないですか?妊娠したあと、出産したあと、「ほらね、やっぱり愛せなかった」じゃあ遅いんです。命の尊さ、少しは分かっているつもりです。

他人の子は、苦手でも得意でも、好きでも嫌いでもないけれど

街中の妊婦さんや子ども連れを見て、思います。
自分と、自分の愛する人、ふたりともの遺伝子を持つ生き物を育てるって、どんな気持ちですか。
少なからずどこかが自分に似た生き物って、どう見えますか。自分に似ていて愛おしいですか。パートナーに似ていて愛おしいですか。両親への親孝行になりますか。

わたしは自分が大嫌いで、自分が大好きです。自分の遺伝子を持つ生き物は愛せない、と思いながら、そんな生き物のために自分が苦しむなんて嫌、出産時の痛い思いも出産までの辛い期間も経験したくない、なんて思っています。大好きなわたしにそんな思いをさせた、大嫌いなわたしの遺伝子を持つ生き物を、どうやって愛せと?

こんなひねくれた考え方も、こんなひねくれた言葉も、良くないだろうなと思うし、少数派だろうと分かっています。でもわたしは昔から、この考え方は変わっていません。
「なんで子ども欲しくないの?」と聞かれると、これを説明するのがめんどくさいので、「小さい子が苦手だから」と話しています。別に他人の子は、苦手でも得意でも、好きでも嫌いでもないけどね。

命の尊さを少しは分かっているつもりだから、わたしに我が子は要らない。だって、きっと愛せない。