誰しもが経験する、高校受験。わたしは勉強ができなかった。そのため、地元の偏差値の低い高校か、受験の必要がない私立への入学を勧められていた。
自分の偏差値よりはるか上の高校を受けて、見事受験に失敗した。そこの受験を決めたのは、「周りに誰も受ける子がいない」という、たった、それだけの理由だった。

勉強も運動もできない私の受験先は。先生からの「提案」

中学3年間、バレーボール部で補欠だった冴えないわたしは、とにかく自分の事を知っている人がいないところに行きたい、それしか考えていなかった。
部活でも輝けず、勉強も運動もできず、好きな男の子にも好かれず、趣味が合う友達もおらず、完全に浮いた存在だった。
そんなわたしにも唯一の武器があった。「絵を描くこと」だ。

休みの日になると、寝る間も惜しんでA4のコピー用紙にシャーペンと、小学生から使っているクーピーで絵を描き続けていた。
卒業文集の表紙のイラストも任せてもらえるほど、絵が上手い人として認められていたと思う。そもそも、学校生活が充実している子は、寝る間も惜しんで絵を描く時間なんてない。友達とマックに行ったり、彼氏とウィルコムで電話していたはずだ。

どの教科も惨敗の中、唯一、美術だけ成績がよかった。そんなわたしに、当時の担任の先生はある提案を持ち掛けた。
「美術の高校があるよ。すべりどめは、ここにしたら?」
できないことばかり槍玉にあげられていたはずのわたしに、担任の先生は得意なものを活かす道を教えてくれた。
わたしは1人でその学校まで見学しに行くと、すべりどめの受験はそこにすると決めた。
周りが髪を茶髪に染め、耳に光るピアスを眺めながら、わたしだけ黒髪で卒業した。

CMのような青春はなかったけれど、「思い出」ができた

片道電車で1時間。美術クラスのある高校に入学した。
高校3年間同じクラスという特殊な環境下で、男子は11人しかいなかった。クラス全員がクセの強いオタクで、恋愛や友情以前の問題だった。
それに加え、絵を描くことが当たり前の世界。ペンタブで絵を描いてピクシブに投稿するのが常識だった。画材と呼べるものがクーピーしかないわたしにとって、ショッキングな出来事だった。
自分の知識が遅れていること、中学ではただの井の中の蛙だったこと、さらにはペンタブなんて買ってもらえるはずもない経済格差。入学早々、出鼻がいくつあっても足りないほどに、出鼻を挫かれた。薔薇色の青春は一瞬にして灰色になった。
もうだめだと思ったわたしは、高校を辞めようと思って、通信制高校の案内を取り寄せるくらいだった。けれど辞める勇気もなく、タイミングを失い、高校に通い続けた。

「ただのクセの強いオタク」だったクラスメイトが友達になった。清涼飲料水のCMみたいな青春はなかった。彼氏もできなかったし、制服ディズニーどころか、放課後は課題をやるばかりで遊んだ記憶すらあまりない。
校舎の壁に絵を描いたり、交換で漫画を描いたり、文化祭で大きな地球を作ったり、町のPR映像を撮影したり、他の高校生とはかぶらないような思い出ができた。制服よりも作業着姿が多い毎日は、わたし達だけの青春だった。

「美術の高校がある」と教えてもらわなければ、どうなっていたかと思うとゾッとする。あの決断があったから、好きなことや得意なことをのばすことができた。きっと普通の高校に行っていたら、中学生の時のまま、できないことばかりに時間を使っていただろう。

「どんなに小さくてでたらめな船でも、たどり着くことができればいい。大きくて美しい船だとしてもたどり着けなければ意味がない」
恩師の言葉を胸に、わたしはまだ文章を書いている。