女の子をドキドキさせたり、くだらない話で男の子を笑わせたり

職場を離れる3日前、彼に連絡先を貰った。
彼というのは、私が働いていたカフェで名前を知らない人はいないというほどのチャラいお客さん。
まだ入って間もない頃から、彼の噂はたくさん聞いた。
「今日、最終出勤日なんです」
と言った子に、自分の胸ポケットからボールペンを抜き取りお餞別と言って渡したこと。
自分の住んでいる住所を郵便番号から番地までつらつらと口に出し、「いつでも遊びに来てよ」と言っていること。
そして私の職場だけでなく、隣のコンビニの店員さんまで誰にでも連絡先を渡すということ。そんなマイナスな情報が多すぎて、私は彼が苦手だった。

前情報だけではない。
髪を染めた私の変化にすぐ気づき、「かわいくなったね」と言った。
他の店員に対してもそうだ。
「今日はメガネで新鮮だね」
「今日は前髪あげて雰囲気が違うね」
そんなことを言って女の子をドキドキさせたり、かと思えばひたすらくだらない話をして男の子を笑わせたり。
口が軽い上に、少し長めの髪に着崩したスーツ。
見た目からも彼のチャラさを存分に感じ取り、どうしても好きになれなかった私は、同じ気持ちを持つ何人かと、「またやってるよ」と、彼のことを小馬鹿にしていた。

公園でビールを飲みながら話すうちに、彼の本当の姿が見えてきた

そんな彼への見方が変わったのはクリスマスのこと。
日頃の感謝を込めて、常連のお客さんにメッセージカードを渡す計画を立てていた。
カードの枚数は30枚のみ。
1日2回、多い時には3回やってくる彼は、常連の中でも優遇されるべき立場だろう。
けれど、私は彼が好きではない。
けれど、そんな私情を挟んでいいのだろうか。
考え抜いた結果、渋々彼にもメッセージカードを書き、かといって直接渡す気にもなれず、他の従業員に「これ渡しといて」と、託した。
後日、彼はいつものようにお店に来て飲み物を買い、遠くから見守る私を見つけ、「メッセージくれたの、お姉さん?嬉しかったよ、ありがとね」。ただそれだけを伝え、去っていった。一瞬の出来事だった。
けれど、その一瞬で私の心はほぐれた。
「もしかしたら彼は悪い人ではないのかもしれない」
その日から少しずつ、少しずつ彼と話すようになった。
とはいえ、1回2分程度の会話から読み取れることは少なかった。けれど、思っていた通りチャラいことと、思っていたよりも優しい人だということは充分に伝わってきた。

そこから3ヶ月が経ち、私は店を去ることが決まり、最後に連絡先を貰った。
「この近辺で1番出回っているLINEのIDですね〜」
なんて嫌味をいう私に対しても、彼はいつものようにヘラヘラと笑った。
そこから1週間ほどお互いに暇つぶしのような連絡が始まり、これまた暇つぶしのような形でお昼を食べることになった。
ご飯を食べたあと、天気が良かったこともあり、公園でビールを飲みながら話した。
話していくうちに、彼の本当の姿が見えてきた。

皆に「かわいい」と言うのは、本当に可愛くなったり似合っていたから言っていること。
そしてその言葉に嘘も下心も1ミリもないこと。
自分の住所を話すのは、それで笑ってくれる人がいるからだということ。
胸ポケットから出したボールペンは、実は買ったばかりの某大手メーカーのもので、プレゼントとして渡せそうなものがそれしかなかったこと。
そして、コーヒーを買う2、3分でそんな自分の考えを理解してもらうより、みんなを笑わせて楽しませたほうがいいと思っていること。
自分の行動が誤解を生むことも、違う意味で捉えられていることも充分に知っているけれど、勝手に変な目で見ればいいし、自分を分かってくれる人にだけ本心を話せばいいと思っていること。

一見美しいものではなさそうだけれど、ハマると抜け出せない魅力

彼は思っていたよりずっと大人で、サービス精神の塊で、人との関係性をどこか割り切っているような感じがした。
彼の言葉や考え方から、ただフワフワと生きてきたのではないことを充分に感じ取れたし、彼の人生が真っ直ぐで平坦ではなかったことも読み取ることができた。
彼の人となりが大好きになったし、尊敬すらできる。
話せば話すほど今までの誤解は解け、彼の魅力に引き込まれていった。
彼の言葉や考え方は私の心に大きく響き、人生の師を見つけたようだった。

気づけば日も暮れ、話し足りない私達はカフェに入りまた話し、最後は海に行こうと電車に乗り込んだはいいものの、道中終電が危ういことに気づきそのまま解散して、お互いの家へ向かった。
帰宅した頃には23時を過ぎ、10時間近く2人でノンストップで話していたことに気づく。
その時間は私にとって刺激的で、学びもあり、彼の人間性に惚れた時間だった。
みんなの評判や上辺だけで判断して、彼との距離を詰めなかった1年間を後悔したし、逆に最後にこうして仲良くなろうと思ってよかった。

彼の魅力は"沼"だった。
一見美しいものではなさそうに見えるけれど、ハマると抜け出せない。そんな魅力。
みんなはその表面しか見ていない。だからあーだこーだと言って彼を嫌うのだ。
一歩踏み入れるとこんなにも魅力的なのに。かく言う私も何ヶ月前まではそんな彼が大嫌いだったのだけれど。

そんな彼の魅力に見事に沼落ちした私は、次の日に行われた職場の送別会で彼の魅力について熱く語った。
「実は思慮深くて、サービス精神の塊で」
「みんなが思っているより軽い人なんかじゃなくて、本当は」
私が前日に知った彼の魅力や彼の本当の姿を、感じた通りありのままに伝えた。
けれどみんなは、「んなわけないじゃん。騙されてるだけだよ」「あんなチャラいのどこがいいの」と、口々に言った。
正直すごく悲しかった。彼はこんなにも素晴らしい人間なのに。少し踏み込めば、きっとみんなも彼の魅力に気づくことができるのに。ありとあらゆる言葉で彼の良さを伝えても、みんなには伝わらない。
「悔しい」。そんな思いでいっぱいになった。
けれどそのまま反論することを諦め、大人しくみんなの悪口を聞き続けることにした。
「いいんじゃない?分かる人に分かってもらえれば」
そんな彼の言葉を思い出したから。
「彼は実は素晴らしい人なんだ」
みんなに分かってもらえなくったって、無理に主張を続けなくったって、私自身が彼の心の美しさを知っていればいいのかな。
みんなからの酷評は聞き流して、それでも心の中で相手を慕い続ければそれでいいのかな。
そう心の中で思い、「彼がいい人なんだ」という主張は心の中にしまった。