私がだれかを切実に頼ったとき、それは公務員試験の真っ最中、一次試験の結果を待つ時期のことだった。
一昨年、27歳職歴なしというハンディを背負いながら勝負をかけた戦いをしていた時のこと、そのプレッシャーに耐えられなくなった私は一人の男に救いの手を求めた。
その男は、夜遊びもパチンコも平気で行う、いわゆる典型的なチャラ男だった。

肩身が狭い状況を唯一話せたのは、偶然出会ったチャラ男だった

公務員試験は、一次の筆記試験と二次の面接試験で行われる。配点は面接試験の方が高いが、半数以上は筆記試験で落とされてしまう。どちらも手が抜けないという意味で、受験者はオールマイティーであることが求められる。

筆記試験は余裕を持って通過できる。しかし、合格発表となるとまた緊張は別物だ。私は高等教育機関で在学中に269単位取得した根っからの勉強好きだ。その点は評価してくれているが、やはり27歳で無職というのは肩身が狭い。
地元の同級生には身元を話さず、私はチャラ男のみと関わりを持った。

チャラ男との出会いは、2016年の春のことだった。その日は地元民が入り浸る居酒屋で友人と晩酌をし、3時間ほどの時を過ごした。
もうそろそろお開きにしようと足を求めて電話をするが、私の家には繋がらず、私は一人居酒屋に残った。すると偶然、私の目の前では部活の後輩2人が共にお酒を楽しんでいた。そのうちの一人が、その後救いの手を求めることとなるチャラ男だった。

メンヘラホイホイの彼の周りには、病める女性が自然と集まっていた

大学には殆ど行かずにアルバイトで生計を立て、その大半をパチンコとソシャゲに使ってしまう。その生活ぶりから貯金ができないダメンズなのは一目で分かる。
でも根はいい奴で、人のことを放っておけないお人好し。メンヘラホイホイってやつだ。そんな彼の周りには病める女が集っていた。

見過ごされた軽度の知的障害、見捨てられ不安の強い束縛女。彼は訳あり女を誰一人見捨てなかった。中には出会ったその日からホテルに行こうと誘ってきた女もおり、彼は難なく受け入れた。人の良さとダメンズがかけ合わさった事例である。

チャラ男から遊ぼうと声がかかるのは、夜の遅い時間が多い。私は夜の遊びに抵抗を持ち、両親も「育ちが悪いのが分かる」と、批判していた。
しかし私はニートとして送った就活期間中、そのチャラ男を何度か頼った。ほんの数時間でも、話を聞いてくれるだけでほっとした。

夜間の外出は危険と分かっているけど、もし事件に巻き込まれたら今まで積み重ねたものが全てチャラになることも分かっていたけど、ニートという重圧がのしかかり、彼を頼らずにはいられなかった。

人に頼ることができたおかげで、心に余裕ができ、精神的に自立できた

私は昔から人を頼るのが苦手だった。
周りに友人がおらず、両親も厳しかったことから頼る人がいなかったという方が近い。だから、不登校の生徒や男に入り浸る同級生を見ては、助けを求めてばかりいる哀れな奴だと思っていた。

私に味方はいないと感じていた故に、子ども時代の私はやけに強気であった。人を頼ることや、弱音を吐くことは情けないことだと思いながら大人になった。もちろんチャラ男を頼ったときも、そこまで落ちたかと自尊心を失いかけた。

しかし今では、人を頼ることは決して悪いことではないと断言できる。なぜなら、人間関係に恵まれなかった子ども時代と恵まれた現在を比較して、いかに「人は一人では生きていけないか」ということを学ぶことができたからだ。

人を頼ることができなかった頃の私は人間不信で、他人を信用することができなかった。
けれども今はそうではない。今の方がずっと心に余裕があり、精神的にも自立している。
これは時には人を頼り、時には人助けをしながら良好な人間関係を築き上げた結果である。
チャラ男を頼ったことも、今となっては恥ずかしいことだと思わない。

人を頼ってもいい。寧ろ何か悩みを抱えていたら、積極的に誰かを頼ってほしい。私で良ければ、私でもいいと思っている。