人生の転機はこれまでいくつもある。
自分の性格や、大げさかもしれないけれど人生を変えたと思う転機は特に印象に残っていて、今でも「あの時、ああしてたおかげで」と思う決断がふたつある。
引っ越しと中学入学を機に、明るい子を演じたことが始まり
ひとつ目の大きな決断は、なりたい自分を演じること。
小学生の時の私は人見知りだった。友達のお母さんにも、恥ずかしくてなかなか挨拶ができないような子だった。特定の子とばっかり一緒にいて、あまり関わってない子から「暗すぎる」と陰で言われていたと聞いたこともある。そしてそんな自分の性格は、全く好きではなかった。
中学生になるタイミングで、親の仕事の都合で遠く離れた県へ引っ越すことになった。
たった1人で知らない土地の中学へ入るのは不安が大きかったけれど、元の自分を知っている人がいないことを逆手に取って、自分の理想とする明るい子を演じてみた。そんな自分を客観視して「無理してる、こんなの私じゃない」と何度も思いながら、それでも続けた。
バレー部に入ったことも手伝って、中学校を卒業する頃にはいわゆる明朗快活な少女になれたと思う。チームメイトのお母さんには自分から挨拶をし、はきはきと喋るようになった。
高校に入学したときも、知っている人がいないクラスでも一切人見知りしなかった。このおかげで、今でも初対面が苦ではなくなった。
小学生の私からしたら信じられないが、逆に周りからは幼い頃引っ込み思案だったと話すと驚かれるようになった。
転職の準備を通して、好きなように生きることを知った
そしてもうひとつが、自分の好きなように生きること。
目指していた性格になれた私は、たくさんの人と関わることを楽しんでいた。高校も大学も、社会人になってからも、自らいろんなコミュニティに出向いていた。いろんなタイプの人と出会い関わる中でも、自分の改善したいもうひとつの部分はそのままだった。誰に対しても、自分の主張がなかなかできなかった。
自分が欲しいと思っていても、周りも欲しそうだったらあえていらないふりをしてしまう。自分が行きたい場所があっても、他に賛同する人がいなさそうだったら言わない。周りを困らせたくない、いい人でいたいと思っていた。
それを破ったきっかけになったのは、転職だった。正確には、転職に繋げたくて受けたコーチングだ。
自分が周りに遠慮してしまう原因の追究や、主張してはいけないという潜在意識が当時勤めていた会社を抜け出す決断の足かせになってしまっていることの自覚など、向き合うには苦しいことも多くあった。
でも結果として、社会人わずか2年目で会社を辞めることができた。この大きな決断によって、好きに生きていいんだということを身をもって知ったように思う。
退職を伝えても誰も引き留めてこなかったし、新しい会社で出会った人にも、前職を1年半で辞めたことをとやかく言う人はいなかった。結局、世間体や社会的な信用を得られないかもしれないと気にしていたのは、自分だったとはっきりわかった。
このことで、私はわりと自分の好き勝手を言うようになったと思う。
些細なことだけれど、お菓子などを「いる?」と聞かれて、欲しい時は素直に欲しいと答える。今の会社の上司にも「いい意味で図太くなったね」と言われるくらいだ。これも、少し前の私では信じられないことだ。
これからも多くの決断が待っていると思う。そのたびに自分も変わっていくのかもしれないけれど、自分を好きでいられるような生き方をしたい。