自分のことで手一杯の私は、子どもが欲しいと思わない
私は子供が嫌いだ。
笑ったり、泣き喚いたり、急に走り出したり。可愛いとは思うが、どう接していいかわからないから苦手だ。他人の子供をガラス一枚隔てた状態から眺めているくらいがちょうどいい。
アラサーにもなると、SNSに子供の写真ばかり投稿する女友達が増えてくる。もちろん子供は可愛いが、正直さほど興味はない。
私が見たいのは、母親であるあなたの写真、青春時代を共に過ごしたあなたの今が知りたいのに、と思いながら、そそくさとスワイプする。
そんなわけで、私は子供が欲しいとは思わない。
ただでさえ自分のことで手一杯なのに、他人の世話を焼く余裕はない。
そもそも、皆口を揃えて「子供が好きだから欲しい」と言うが、子供はいつまでも子供ではない。そう言う人には、我が子が大人になり親元を離れた時、何が残るというのだろう。
そして何より、なぜ誰しもが当たり前のように「子供を産み育てる」という選択ができるのだろう。
私にとって、途中棄権のできない、責任重大なそれは、とてつもなく恐ろしいことだ。
国際女性デーのある投稿。「もっと自分の選択に自信を持って」
ここまで読んで、皆さんは私のことをどう思っただろうか。
自分としては、極悪人になった気分である。自分自身も親に大切に育ててもらった身だというのに。なんて薄情な。
子供が好きだと言う人は、大体みんな良い人そうに見えるし、その逆も然り。
だから私は子供が嫌いだと、大きな声では言わないようにしてきた。
国際女性デー。近年日本でも定着しつつあるこの日には、世界中の女性達が、女性の活躍を讃え、強く生きようと声を上げる。
その中で、ある女性のSNSの投稿が目に止まった。
子供のスイミングスクールのトレーナーやベビーシッターの仕事をしている彼女は、こう綴っていた。
「(一部抜粋)子供が好きではない、扱いが分からない、育てる自信がない等の理由で、子供はいらないという話を最近よく耳にします。
みんな少し申し訳なさそうに言うんだけど、全く悪いことではないから声を大にして、もっと自分の選択に自信を持って言って良いと思う。
自分の身体のこと、人生のことは、周りではなくて自分に決める権利がある。
子供を持つ選択をしなくても女性失格ではないし、子供がいっぱい泣いて『もう子育て嫌っ!』『呑みに行きたい!』って思っても母親失格ではない」
どうやら「子供が嫌い=悪」という固定観念に一番囚われていたのは、自分自身だったようだ。
出産は女の「役割」だとしても「義務」ではないはずだ
愛する人と結ばれ、新しい命を授かる。親から子へ、脈々と繋がれていく命のバトン。それは強く美しく、私もそうやってこの世界に生を受けた。
そして、時代とともに医療技術は進歩しているとはいえ、出産は命懸けの行為だ。いつの時代も我々は、世界中の母親達への敬意を忘れてはならない。
しかし、女だからといって、必ずしも子供を産み育てなければならないわけではない。自分の身体は自分のもの。出産は女の「役割」だとしても、「義務」ではないはずだ。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
それでいいじゃん。たったそれだけのこと。
女だって人間だもの。
今日何を食べるか。誰とどこへ行くか。子供を産むか産まないか。
そうやって一つひとつ選択して、今日も私、そして女達は、自分の人生を生きていく。