ワンオペ育児と保健体育の授業は繋がっているのでは

先日、とある映画を鑑賞した。「子宮に沈める」である。
この作品は、幼い子どもと赤ちゃんが育児放棄されて弱っていく様子を生々しいカメラワークで捉えている。
正直、この作品はフィクションだと思い込まないと見ていられない。気分転換の映画鑑賞のはずが、どっと疲れてしまった。と同時に、この映画は子どもが欲しい人、妊娠している人、そして何より中高生の皆に見て欲しい作品であると感じた。ぜひ、おすすめする。

映画を見ていく中で違和感があったのは、「父親」の存在がほとんど描かれていないことである。私は映画の中の彼に対して、あまりにも育児に対して無責任ではないかとモヤモヤした気持ちになった。
確かに、「ワンオペ育児」という言葉があるように、今の現代社会では子育てを他人事のように捉えている父親が問題になっている。
私は配偶者にワンオペ育児をさせてしまうことと中高生の保健体育の授業は、実は繋がっているのではないかと考えている。

今の保健体育の授業でも、はしゃぐ「ダサい男子」がいる

現在の保健体育の授業では、子どもを作る行為、そして出産していくまでの過程について詳しく話されるのはタブーのようになっている。一歩間違えたらセクハラ教師扱いされてしまうし、言葉を選んだとしても子どもから回り回って保護者からのクレームがないとは限らない。
そのため、多くの先生方は、その分野を飛ばして授業を行っていらっしゃった。そして、その授業を行ったとしても、「一部の男子のひやかし」のせいで授業は成立しない。

私だけの経験かもしれないが、決まって保健体育の授業を台無しにするのは一部の男子だ。
大声で卑猥な言葉を発してはしゃいでいる。そしてその現象は私が教育実習に行った時も同じく変わらなかった。負の伝統である。
最近はインターネット社会が発展して、未成年でも簡単にアダルトサイトにアクセスできるようになった。授業中に発せられる言葉を聞く限り、彼らはきっとそのようなサイトに影響を受けているのだろう。
また、子どもを作る行為を「背徳感のある行為」「いかがわしい行為の最骨頂」と捉えている。新しく覚えてきた言葉を喋り、皆と違って大人の階段を昇っていることをアピールしたいのは分からなくもない。
しかし、そのやり方は単刀直入に言えばダサい。知識どころか、無知をひけらかし、将来的には訴えられてもおかしくない行動をしているのだから。そして、彼らがはしゃぐ原因にはきっとぼんやりとした性教育の内容が影響しているのだろう。

私は、やはり保健体育では妊娠から出産までのリアルを伝えていくことが大事ではないかと考えている。
「命が生まれる尊い現象」だけではなくて、出産後母子共に健康であることがどれだけ大変か、避妊しなかった時のリスク(中絶手術の内容及びその費用、水子の供養について)、不妊治療、男性の育休の取りづらさ、虐待、1人で子どもを育てる大変さについて。離婚の原因に度々配偶者の不倫もあるから、その慰謝料についても触れてもいいかもしれない。

将来誰かの父親になろうとしている人の邪魔をするな

私は保健体育の授業中に先生方を冷やかしてきた男子たちにこう伝えたい。
「あなたは、将来誰かの父親になる自覚はあるのか?」
「もし仮に父親にならなくても、将来父親になるであろう周囲の人々を尊重する行動が出来るのか?」
未婚率が増えている今、特に後者は口酸っぱく伝えたい。将来誰かの父親にならない人が、真剣に父親になろうとしている人の邪魔をするなということである。
もし貴方が上司になった時、産休や育休をとることになった部下に嫌味を言わないで欲しい。間違っても、不倫や女遊びに誘わないでほしい。

そして、これは男女問わず言えることだが、赤ちゃんを産むならば責任を持って産んで欲しい。警察庁が発表した令和3年度の児童虐待の通告児童数は「約10万8000人」。でも、映画のように私たちが知らない場所でひっそりと苦しんでいる子もいる。

性教育について厳しい現実を教えていくのは、親、保健室の先生、お医者さん、そして教師である。私は教師にならないが、ジェンダー教育が発展している今こそ、子どもたちを妊娠と出産の現実に向き合わせる先生が多く生まれることを願っている。
でも、その前に教育学部で人権教育について講義をしていかないと難しそうだ。残念ながら教師のたまごの中には、ヤリ捨てや浮気や不倫、中絶をステータスのように語る人たちがまだまだいる。

道のりは遠いだろう。でも私は身近な人にそのような自慢をまた聞かされたら、きっぱりとそれは間違っていると伝えるつもりだ。