掃除が苦手な私は、ものをうまく捨てられない。「いつか使うかも」とか「思い出の品だし」とか理由をつけては、どんどんものが増えていく。そして部屋の隅でほこりをかぶっていく。
それは頭の中も一緒で、いろんな記憶がごちゃごちゃになったまま絡まって、頭のすみっこでほこりをかぶっている。
でも、その記憶だけはいつまでも新しいままだ。捨てたくても、捨てることができない記憶である。

弟に離婚を気づかせてはいけない。お姉ちゃんだから強く心に誓った

「お父さんと離婚しようと思うんだ」と聞かされたのは、10歳のときのことだった。
「お父さんね、浮気してたの。しかも、あんたの貯金も勝手に使ってたんだよ」
私はわけもわからず泣いた。でも、子どもの私がどんなにがんばったところでそれはもうすでに決まっていることだったので、腹をくくるしかなかった。

そのときぼんやりと、5歳のころ、母に連れられて家出したときのことを思い出していた。あのころは母とふたりで急にお泊まりなんてわくわくしていたけれど、目を赤くした母に「やっぱりおうちに帰ろうか」と言われて結局帰ったのだった。
あ、きっとあのときから始まっていたんだな、と悟った。

私には4歳離れた弟がいて、とても仲が良かった。弟も私のことが大好きで、よく私のまねをした。私が笑うと一緒に笑うし、泣いているとなぜかつられて泣き出した。だから私はもう父のことで泣かないと強く心に誓った。
弟は離婚のことをよくわかっていない。私が泣けば、それが悲しいことなんだって気づいてしまう。私はお姉ちゃんだから、絶対気づかせたらいけない。

夜中に何度も確認した父の靴。悲しみとともに感じた安堵

父とはまだ一緒に住んでいた。いついなくなるのかと毎日気が気ではなかった。
休日はたまに父が料理をした。母はささっとたまねぎをいためて作るオニオンスープだけど、父はいつも時間をかけてたまねぎをいためた。
私はどんどん色の濃くなっていくたまねぎを見ながら、もうきっとこれが父の作る最後のオニオンスープだなと感じていた。視界がぼやけたけれど、こらえた。
今でもたまねぎをいためていると、ときどき思い出す。

私はいつも父と一緒に寝ていたので、夜中に目を覚ますと必ずとなりを確認した。姿がない日は飛び起きて玄関を見に行った。大きな革靴があって、リビングでうたたねしている父を見つけて安心した。今日もちゃんと帰ってきた。
それでもある日、とうとう父は帰ってこなかった。夜中に何度も靴を確認しに行ったけれど、外が明るみはじめても、父の靴が玄関にそろえられていることはなかった。
絶望の朝日だった。大きな悲しみとともに、「もう毎日どきどきしながら靴を確認しなくていいんだ」という少しの安堵もあった。

それからは、父がいたときより気丈にふるまった。弟は楽しそうにしていたし、母も「あんたが強い子で助かる」と言っていた。
ひさしぶりにお祭りに家族4人で行き、父と別々の家に帰るときは心が引き裂かれそうで涙があふれてしまったけれど、夜だったので、「ばいばーい」なんて言いながらバス停まで無邪気に走る子どもを演じてごまかした。
誰にも泣いていることに気づかれなかった。こんなに悲しい作戦成功は初めてだった。父も母も弟も、「楽しかったんだね」と笑っていた。

あの頃に戻れたら、私を抱きしめて声をかけてあげたい

大人になった今は、一人暮らしをしているし、父と母が離婚していようが特になんとも思わない。会おうと思えば父にも母にも会える。でもあのときの記憶はいつまでも新しくて、捨てたくても消えてはくれない。
あのころの私の心の叫びは、大人になった私の骨の髄にしみこんだ。

私は本当は強い子になんてなりたくなかった。弱いままでいたかった。大声でいやだいやだと泣きたかった。全部夢であってほしかった。誰かに気づいてほしかった。
私がもしタイムスリップできるとしたら、あのころの私に会いたい。そして、「ひとりでよくがんばったね」って抱きしめてあげたい。

離婚なんていまどきめずらしくはない。あれから大人になるまでにつらいことなんて山ほどあった。でも、必ず思い出すのは10歳のころの私だ。
おそらく、離婚という事実より、誰にも気づかれなかった感情があふれそうになるのを抑えることのほうが心を削いだのだと思う。

押し殺すことで、かえって永遠に鮮明になってしまった記憶。私はきっとこれからもこの記憶を捨てられない。でも、せめて大人になった私だけは、あのころの私を捨てないで、いつまでも抱きしめてともに生きていく。そうすることで、巡り巡って現在の私も救われる思いがするのだ。