子どもが好きだが、出産は「無理」と両手を振って笑ってしまう

「高校中退して結婚したあの子いたじゃん?もうお子さん、小学校入学らしいよ」
そんな話題が舞い込んだのは、高校生活最後を共にしたクラスの女子のみで構成されたLINEグループの中。どうしてこうも女子という生き物は、恋愛絡みの話題に聡いのだろう。仕事で疲れた頭の隅で傍観する。

例えば誰が告白した、誰が別れたなんて話は、年代問わず女性なら一度くらい耳にしたことのあるトピックであるはずだ。それからやれ相手はどんな人物で、どんな出会いで結婚はいつ頃ひかえていて……なんて語り出したら尽きることがない。
そんな恋愛の話題が好きな人もいれば、苦手に感じる人もいる。それに老若男女は関係ないが、特に女性がこの手の話題を好きであることについては大多数の同意を得られるだろう。決して偏見ではないはずだ。
そんな私も女性の一人であるが、恋愛話が好きか嫌いかと言われれば好きだ。他人の色恋に限ってだが。

私は自分が結婚する姿をどうも想像できない。恋愛経験が決してないわけではないが、年齢が上がっていくにつれて恋愛感情が薄れていっている気がする。
ましてや子どもを産み育てるなんて、無理無理と両手を振って笑ってしまいそうになる。
子どもが嫌いなわけではないのだ。むしろ好きだと自信を持って言える。
じゃあなんで?と聞かれれば、「恋愛感情が薄れていっている」理由と合わせて答えることができる。

出産という経験は積むべきかもしれないけど、私が選びたい道は

今を一人で生き抜くのが楽しくて仕方ないのだ。ここに他者を介入させるだなんて、笑わせないでほしい。趣味が楽しい、友達付き合いが楽しい、仕事もちょっとだけ楽しい、そして一人が楽しいと本気で感じている。
きっと、結婚して出産して、自分の子どもを大切に育てる楽しさを味わう女性の方が多いのかもしれない。自分の子どもに癒されて、時にイラついたり涙が出てきたり、それでも愛情が勝ってどうでも良くなる。そんな経験を積むべきなのかもしれない。

積むべきなのかもしれないが、私はあえてその道を選ばずに生きていきたいと考えている。
一人で生きるのが楽しいというのは、何も立派で完璧な人間を表しているわけではない。私の場合は全くの真逆で、未熟だからこそ一人が楽しいのだ。

未熟だからこそ失敗するし、道にも迷ってしまう。それを愛する人と乗り越えていこう、愛する子の親として成長していこうと思わないのか、と聞かれれば「人によるでしょ」で一蹴させていただく。
私はたとえ派手に転んでも、一人で消毒して絆創膏を貼っつけて立ち上がることを選びたい。転んだ子どもに駆け寄って慰めることはできても、一緒に転んだ子どもの手当をしていたら自分の傷を忘れてしまいそうで怖い。

多方面から考えて選択できる時代に、今の私が言えること

身も蓋もないが、全ての事柄は「人による」のだ。人生の一大イベントである出産ももちろん例外なく、考え方は人による。
未熟な自分が子どもを産んで立派な親になれた人、初めから信念を持って出産に挑んだ人、不器用なりに一人を必死に生きる人、完璧すぎて他者を介入させたくない人、色々な考え方があって当然なのだ。そして、この一例のように出産を多方面から考えて選択できる時代は、実に令和らしいと言える。

私の考え方を述べたところで、冒頭の友人たちとの会話について少し触れておこう。
高校中退を選択した知り合いが、今や小学生の子どもを持っている。最初に思ったことは「立派だなぁ」であった。
しかし、彼女がどのような考え方で出産に至ったのか知らない限り、勝手に立派と褒め称えるのはいかがなものかと自分を諌める。今も苦悩の最中かもしれないし、人に言われなくても自分は立派だと鼻を鳴らしているかもしれない。
私から言えることは、未来を担う子を産む決断に対する敬意だけに留めたいものだ。