気が合う。外見もタイプ。私に世界一詳しいドクターに恋をした
「恋愛はどこからが恋愛か、定義できる?」
場所は閉じられた研究室。2つの椅子。憧れのドクターと2人きり。雑談からの唐突な禅問答。私の頭の中で脳内会議が始まった。
高校生。大人一歩手前の私。冷静に答えを探る理屈っぽい私と、まるでドラマみたいなことが起きてはしゃぐ幼い私、恋愛脳ゆえに何でも恋に結びつける私、ネガティブな悲劇のヒロイン気質の私、ドクターと話した経験を必死に海馬に焼き付ける記録係の私。色んな私が一致団結して話し合う。
結果、思いつかず。
「すみません」と手足を伸ばしたら、私の足がドクターの足にぶつかってしまった。生々しい体温を感じてしまったため、さらにあたふたしてしまった。きっと顔が真っ赤だっただろう。無意識に手で顔を覆ってしまう。
ドクターは多分世界一、私に詳しい。もしかしたら、私以上に私のことを知っているかもしれない。私の行動パターンや思考パターン、考えるくせ、何でもかんでもお見通しである。世の中には、本当に超能力者っているのかもしれないと思ったほどだ。
そして、かなり気が合う。ドクターからは「あなたと私はかなり馬が合うね」と言われるほどだ。好きな食べ物や好きな動物、嫌いな言葉も一致している。
外見もタイプである。うねうねゆらゆらとしたくせっ毛と、切れ長のややつり目で笑った時にキツネっぽくなるのがたまらなく可愛い。
ドクターは何を考えているかは正直わからないし、わからないままでいいが、少なくとも私は一緒に過ごせて楽しくてとても幸せである。日々の雑談も、議論も、イベントもかけがえのない日々だ。
運命の人ってきっと、こんな人なんだろうな。しかし、その幸せな思い込みは簡単に断たれてしまった。
「自慢の子ども」でありたかったけど、突然の結婚報告に
「ドクターが結婚したらしいよ!」
友達からの言葉。知らなかった。そもそも恋人がいるなんて聞いていなかった。色んな気持ちが混同する。
その日は、ちょうどドクターと会う日。私は必死に笑顔をつくる。言葉も用意する。心の中で言うべき言葉を何度も唱える。そして、ドクターに会った時、満面の笑みでおめでとうと伝える。ドクターは「ありがとうございます」と、いつもと変わらない笑みで返してくれた。
しかし、胸の中にある色んなぐじゃぐじゃの気持ちが消化しきれず、すぐに帰宅して自室でみっともなく泣いた。
ドクターは私にとって憧れのお兄さん的存在だった。何となくかっこいいなと思っていたら、いつの間にかファンみたいなものになっていた。研究に対する姿勢や人に対する考え方に共感した。私も大人になったら、ああなりたいなとまで思うようになった。
ただ、厄介なことに、憧れの大人の男性とはまた違う気持ちも流れ込んできた。ドクターが他の子どもと話していたら胸がチクチクと痛んだ。友人からドクターとたぬきちゃんは仲良いね、他の先生方からドクターがたぬきちゃんのことを褒めていたよ、と言われると舞い上がるように嬉しかった。
その積み重ねで私は、ドクターに対する独占欲が生まれてしまった。もっともっとそばに居たい気持ちが生まれてしまった。
「ドクターは研究で忙しいのに、私に時間を割いたらだめだよ」
複雑な気持ちを誤魔化すために、私は意識を自分磨きに向けた。私はドクターにとって一番の子どもでいたいのだ。それ以上、それ以下でもない、と言い聞かせながら。
ドクターに、一番心優しい子どもとして見てもらいたかった。誰に対しても親切に接して、どんなトラブルが起きても極力落ち着いて対応した。困った人がいたら率先して助けた。私がいい子であるという噂が、市中を回り回ってドクターのもとに届くように。ドクターに一番一生懸命な子どもとして見てもらいたかった。
だから、いっぱい質問をした。先生の研究に関する論文や本を一通り読んだ。いっぱい努力して学校のテストも満点近くとった。ドクターの自慢の子どもになりたかった。
ドクターに一番綺麗な子どもとして見てもらいたかった。だから、初めてヘアアイロンを買って、頬や首を火傷しながらも巻き髪の練習をした。お小遣いをためて、自分に似合うだろう化粧品を揃えた。初めてメイクの練習を何時間もした。洋服も背伸びしてお姉さんぽい服を選ぶようになった。
でも、そうやって努力している自分が惨めになった。努力の方向がずれている。昇華ではなく逃避だ。どんなに綺麗になっても賢くなっても、ドクターはドクターだった。
ドクターは既婚者になった。その事に変わりはない。そうか、私はきっとドクターの一番の子どもになりたいんじゃない、私はドクターの……。
ドクターへの淡い想いを抱いて、前を向いて生きていく
叶わない夢を心にしまい、私は前を向いた。
大学に進学したら、ドクターにとって一生忘れられない学生になってやる。引き続き努力をしたら、恋人が出来て、友達も増えて成績も伸びて万々歳になった。その分、ドクターのことを考える時間が減っていった。そして大人になった。
ドクターは言う。「たぬきちゃんは真面目で純粋でいい子」と。
違う。私はそんな綺麗な存在じゃない。買い被りすぎだ。
もしかしたら、ドクターは私の考えを読めているかもしれない。ドクターは私のことを世界一わかっている人だから。それならお願いだからずっとずっと騙されたふりをしてほしい。
一線を超えてはいけない。ドクターはこれからも研究を通して、もっと多くの人の幸せをつくるのだから。
私はドクターの長い研究生活、その一瞬に強い閃光を放ち煌めいてやる。引き続き、自分磨きを続けた。
そして、私は結局ドクターからの問いに答えることはなかった。