中学生。13~15歳の多感な時期に、私たちはいろんな経験をする。
中学生は社会を知らない。学校と家が全てだ。だから、学校や家庭で起きた経験への捉え方も、必要以上に重くなったり、暗くなったりする。私はそのタイプだった。

地域住民の寄せ集めである公立中学校には、人の痛みを知らない子が一定数いる。そういう子は、弱そうで味方のいなさそうな子を一方的に攻撃して喜ぶことがある。
時に個人で、時に集団で。

苦痛な毎日を相談できる人はおらず、死んでしまおうかと本気で思った

当時13歳の私は、親の影響で吹奏楽部に入部した。
楽譜が読めず、気が弱くて空気も読めない地味なメガネだった私は、ほとんどの部内の同級生に嫌われ、仲間外れにされていた。お昼休みの時間は、頼んでも輪の中に入れてもらえず、いつも隅っこに座っていた。気が強い同級生には、目の前で罵倒され、人格を否定され、常に見下されていた。
「あんたはダメ人間だから、うちらの言うことを聞かないといけないんだよ」と言われた。内気な私は反撃できなかった。

とても辛くて、毎日が苦痛の連続だった。
母親に相談したが、私が弱いからだとか、いじめられる方が悪いとか、泣く奴は嫌いだと言われた。父親は育児に無関心で頼れなかった。まだ幼い弟に、弱音を吐くわけにはいかなかった。スクールカウンセラーのところに行っても、あっさり帰された。ほかに相談できる人はいなかった。死んでしまおうかと本気で思った。

「誰も私を必要としていない。私がいなくなれば、みんなが喜ぶんだ」本気でそう信じ込んでいた。
それでも中学校に通い続けられたのは、当時のボーカロイドの曲があったからだ。地上波では流しにくいような、いわゆる「病み曲」を聴き、消えてしまいたい、苦しいという思いに共感していた。中二病チックではあるが、そうでもしないと、今頃私はもうこの世にいないだろう。

社交的だと思うまでに変わっても、完全に晴れることはない心の闇

高校、大学と進学するにつれ、周囲の環境は良くなった。
攻撃的な人間は周囲から消え、いつしか優しいクラスメイトに囲まれるようになっていた。仲のいい友人は何人もできた。私は人と話すのが好きになり、自分が社交的だと思うまでになった。

それでも、心の闇が完全に晴れることはなかった。表面上は笑っていても、ずっと心の奥に、人格を否定され続けた日々がくすぶっていた。
だからカラオケに行っても、歌う曲は暗いものばかり。ふとした瞬間に口から出るのは、ネガティブで卑屈な言葉ばかりだった。
周囲の友人に申し訳ないとは思ったが、そうしないと心を保てなかった。
まだ過去の清算をしようという気にはなれなかったし、中学での出来事は蓋をして忘れようと思っていた。

TWICEの歌声、歌詞は、私の荒み切った心を優しく照らしてくれる

多感な十代を終え、20歳になってようやく、過去との折り合いをつけて前向きになろうと思い始めた。そのきっかけが、TWICEの曲との出会いだった。

もともとKPOPに興味は全くなかったが、何となく知ってはいたので曲を聴いてみた。
すると、今まで暗い曲ばかり聴いていた私の心に、スーッと染みていくような明るさを感じた。
好きな曲は挙げるときりがない。だが、困難に立ち向かう彼女たちの明るい歌声や、勇気をくれる歌詞、前に進む力強い言葉は、私の荒み切った心を優しく照らしてくれた。
彼女たちの歌声を聴くたびに、失っていたものが取り戻せるような気がした。

そして、適応障害で深い挫折を味わっている現在も、もう一度立ち直れるかもしれないという希望を、何度も感じさせてくれている。
今はまだ泣いてばかりの日々だけど、同じくらい笑える日が、いつか来ますように。
次に行くカラオケでは、明るく前向きな曲を心から歌いたい。