27歳、独身の私。出産と聞くと、複雑な気持ちになる。
子どもはかわいい。出勤途中の街中で、親子連れや登下校中の小学生に出会うと、わけもなく幸せだ。見知らぬ子たちが元気でありますようにと、日々祈ってしまう。職場で、先輩のお子さんの話を聞くのも、ほほえましいひとときだ。決して、嫌いではない。
ただ、その幸せは、よその子の話だからである。社会を知ってしまった今の私には、子どもを産むことは想像もできない。言わば超人的なことだ。

目の前のことに精一杯。お相手探しの恋愛をする時間はない

高校生くらいの頃までは、社会人になって、それなりの年齢になったら、愛し合う男女は結婚できるものだと思っていた。もちろん女性は出産を望めばできるものだと、信じて疑わなかった。
何となく、20代前半でそんな生活をしている自分を妄想していた。無邪気だったのだ。
そんな考えが少しずつ変わっていったのは、大学生活が終わる頃だろうか。

大学生の頃の私は、とにかく目の前のことに精一杯だった。学業や慣れない実習をこなすのはもちろん、休暇ともなれば趣味の観劇のことで頭がいっぱいだった。
それに加えて、就職活動が始まってからは、未知の世界への不安が大きくなっていった。
「とにかく働けるようにならなくては!!」と、寝ても覚めても、追い詰められていた。その時々を何とか切り抜けることしかできなかった。
そんな私に、子どもの頃妄想したようなお相手探しの恋愛をしている時間などなかった。
「まだ時間はあるし、ゆっくり考えよう」
その時は、そのくらい気楽に捉えていた。

家庭や子育てでため息をつく先輩。産まない人生に心が傾く

しかし、残念ながら、社会人になってからも、目の前のことに精一杯な生活は変わらなかった。
大学での学びを生かせる仕事に就いたものの、頭の中での勉強と、人を相手にする仕事は全く違った。私は、格段に増えた人付き合いの大変さに、うんざりした。仕事の行き帰りだけで疲れてしまう日々が続いた。
休みの日は泥のように寝ているか、ぼーっとテレビを見ている。少し気力があれば、好きな公演の映像をだらだら流す。そんな生活の中に、新しい人との出会いなんて、あるわけがない。そこで、私は、すぐに自分の限界を悟った。
「私は、仕事と自分の時間だけで精一杯だ」

同時期に、周りの方から子育ての苦労を伺う機会が増えた。それも、私の心が「産まない人生」に傾いた理由かもしれない。女性の比率が高い職場だからか、そういった話題が出ることが多い。お子さんの遊び、行事、成長の話。
ただ、大抵そんな話の中には、
「夫が協力してくれない」
「子どもの送り迎えなんてミッションがなければ、もっと働けるのに」
という話も入ってくる。そして最後には必ず、
「あなた、結婚するなら、協力的ないい人を捕まえなさい」
と、ひと言。一度は愛し合ったお相手に、ため息をついている先輩社員の多いこと。
あらっ、とずっこけそうになる。まるで昭和だ。

自分のペースで働き、休日はリラックスする。それで十分

共働きだろうが、どんなに仲良し夫婦だろうが、最終的に家事育児の負担を強いられるのは、女性なのか。これが、令和の世の中の現状なのか。
私には、無理だ。仕事も、人付き合いも満足にできない未熟者に、他人と家族を作ることなんて。自分のことはもちろん、パートナーや子どものことにまで責任を持って過ごすなんて。
もういい。私は自分を大切にしよう。吹っ切れた。
自分のペースで仕事をできるようになる。休みの日には好きなことをたくさんして、体も心もリラックスできる時間を作る。それで十分。そう思った。

最近、年齢が上がってきて、周りの友達がママになった報告を聞くことが増えた。そんな時、産む予定がない自分のことを寂しく思う。いい大人になって、自分を大切にしようなんて、わがままな気もする。人生には正解がない。だから、複雑だ。
産んでも、産まなくても、寂しい。それが、子どもを産むということなのかもしれない。
これが、今の私の、精一杯の答え。