私は子供が好きではない。むしろ苦手だ。
いつ、何がきっかけでそうなったのかはわからない。
子供は苦手と言う私を見る彼女の目は、憐れんでいるようだった
中学生の頃、休み時間に将来について話していた。将来の夢は好きな人と結婚して幸せな家庭を築くことだと語る友人が「子供は何人産もうかなあ。赤ちゃんってかわいいよね。女の子も男の子も欲しいなあ。脳汁。ちゃんは赤ちゃん好き?」と急に話を振ってきたので、素直に子供は苦手だから産みたくないと言うと驚かれた。
どうしても子供が欲しくなったら、養子をもらうのはありかもしれないと話すと、こう言われた。
「おなかの中で過ごした時間はかけがえのないものなんだよ」
悲しそうな顔をしてこの言葉を口にした彼女の目は、私を憐れんでいるようだった。
その時間の大切さや愛しさもわからないなんてかわいそうに。そう目が訴えかけているようで、今でも出産、結婚といった話題が出ると彼女の顔が頭をよぎる。
今なら子供も産んでいない中学生が何を言っているんだろうとも思うが、その頃の私には、体内にいる赤子と過ごす時間が大切なもの、という考えを持っている人が近くにいることが衝撃的だった。
子供が苦手になるきっかけは、妹の誕生による嫉妬かもしれない
子供がどうして苦手なのか。
高校生の頃に考えたときには、後に生まれた妹に両親を奪われたようで嫉妬していたのかもしれないと思った。
タイトルは覚えていないが、高校生の頃に読んだホラー小説で、妹に嫉妬した幼い少女がその嫉妬心から妹を殺す短編を読んだのがきっかけだ。
「この子さえいなければ、パパとママは私にかまってくれるのに」
子供が話しているかのような文章で書かれていた、まっすぐな嫉妬心に共感している自分がいた。
それまで私に向いていた二人の意識が、自分よりも弱い存在に奪われる感覚。それが自分より幼い妹だったから、子供は総じて奪うものとして警戒してしまうのかもしれない。
幼いころの感情は、大人になってもどこかにひっそりと隠れていて、なくなりはしないものだ。妹も大人になり、今では私よりも図太く成長したから仲良くできているのだろうか。
社会人になり、周りでも結婚や出産といった人生のビックイベントを迎える人は多くいる。
祝福するし、いいなと思う。それでも自分が出産することを考えると、なんだか恐ろしくなってしまう。
うまく育てられなかったら、途中で死んでしまったら、生まれてこなければよかったと思うようなことがあってしまったら、いろいろな不吉なことが頭の中をぐるぐる駆け回る。想像するだけで恐ろしい。
子供は苦手だが、すべてが嫌いというわけではないと気づいた
そう考えているうちに、子供は苦手だが、すべてが嫌いというわけではないことに気づいた。
すべてが嫌いなのであれば、心配になることはないだろう。むしろ存在しない出産後の不安を想像するだけで心がかき乱されるということは、愛しいと考えているのではないか。
この子に何かあれば、私は生きていけなくなってしまう。そう思うほどに大切な存在を恐れていることに気が付いた。
なんだ私、子供なんて好きじゃない。
少し安心した。
子供の好き嫌いだけでなく、出産は人生に大きくかかわってくる。
出産となると、自分の命をかけることになる。今は医療や技術が発達してるからこそ、死ぬ話はあまり聞かないが、それでも普通に生活するよりも可能性は大きくなる。
しかも無事に産んで終わりでもない。産めばそれからの生活が今とは大きく変わる。キャリア形成や人生プラン、なにより人を養うにはお金が必要だ。
育てながら稼ぐなんて自分にできるだろうか。できない自信しかない私に、出産は考えられない。
「産まなければならない」という感覚が、子供よりも苦手
会社の年配の先輩は私の不安など知らないから、時々こんなことを言う。
「お前も人を育てないといけないからなあ」
自分の若いころに剃り込まれた感覚なのだろう。軽くセクハラになりますよと注意だけする。
この産まなければならない、という感覚が一番苦手だ。子供よりも苦手だ。
子宮を持って生まれたのだから、出産して子孫を残さなければならない。ひっそりとそんな義務を押し付けられている感覚。そして、それは確かに動物として正しい主張だ。だからこそ私は苦手なのだ。
産まないという選択は生物の行動に反している。そう言われるようで、自分がこの世界に存在しているのが申し訳なくなってしまう。
親に孫の顔が見たいと言われるのも苦手だ。今は結婚していないから、いい人はいないのというセリフのほうが多いが、結婚すれば孫はという話題に移る。だから結婚もあこがれはあるけれど正直、恐ろしい。次のステップに進んでしまうから。
がんじがらめの毎日で逃げてしまいたくなるから、出産の話題は苦手だ。いつまでも逃げ切れるわけではないけれど、どうすれば折り合いをつけられるのかはまだわからない。