暇を持て余した3連休。
友達はデート、家族はまだ寝ていたり、バイトに行っていたり。
誰もつかまらないので、近所のカフェで勉強でもするかとふらり、家を出た。

子どもなんて、私は産まなくていいやとついこの前まで思っていたけど

祝日の午前中10時。私のように本を広げる人もいれば、必死でノートをとる学生もいる。それよりも目立つのが、幼い子どもを連れた家族。
私の隣のボックス席にも、ちいさな女の子を連れた若い夫婦が通された。
年は2歳。いや、まだ1歳だろうか。
丸い頭、ふわふわの髪の毛、小さな手のひら、ふっくらとした手足、そして一際目を引くのが、そのまん丸い大きな目。
昔から妙に子どもに好かれる私の顔を、飽きもせずじっと見つめる、その真っ黒で大きな瞳。

何がそんなに興味を引くのか。
私に恋人でもいてくれれば、「あの子みたいに私のこと見つめてよ」とでも言いたくなるほど、熱心に私の顔をみつめる。

そんなに見つめられると、なにかサービスしなくてはいけない気がして、目を大きく見開いたり、手を振ってみたり、頼まれてもいないのに、ついあやしてしまう。
子どもなんて、見ている分にはかわいいけれど、別に欲しくもないし、私は産まなくてもいいや。
ついこの前まで、そう思っていたんだけどなぁ。

「子どもができにくい事実」はどこか遠くで言われているようだった

「タノウホウセイランソウの可能性があります。」
3週間前、婦人科の診察室で、先生は私にそう告げた。

……これがホルモン検査の結果なんですけれどもね、LHとFSHを比べると、LHの値の方が高いでしょう? こういう値が出るとですね、おそらく排卵がきちんと行われていない、つまり多嚢胞性卵巣でしょう。今すぐ何か重大な病気に繋がるというものではないのですが、もし今後、お子さんが欲しいということになった時にですね、例えば排卵誘発剤を使って排卵を起こりやすくしてあげるですとか、そういう対応が必要になってきてですね……。

淀みのない説明が、やけにクリアに、頭の中をさらさらと通り過ぎていく。
仕事のストレスのせいか、生理が遅れてPMSがどんどん重たくなるから、相談に行ってみただけだった。
エコーで見て、子宮にも卵巣にも問題はなさそうだけれど、念のためにホルモン検査を受けてみましょうと、そう話をしたのが、その1週間前のことだったのに。

今すぐに何か起こるわけではないけれど、子どもができにくいかもしれないという事実は、あまりにも予想とかけ離れた診断結果で、どこか遠く、靄ががって聞こえた。

子どもをもつ選択肢が当たり前じゃないことが、私の心を傷つけた

子どもが欲しいなんて、さほど強く思ったことはなかった。
電車や図書館で他人の子と目が合えば、かわいいななんてちょっと思って、微笑みかけたり、手を振ってみたりするだけ。
自分のことで毎日精一杯な私には、子どもを産んで、その子を大切に育てて、その人生に責任を負うなんてことは、違う星の話のように、遠い遠いものだった。
その、全く意識していなかった、でも確かに、私にだって選ぶことのできる「子どもをもつ」という選択肢は、当たり前にそこにあるものではないのかもしれない。
彗星のごとく現れたこの話は、自分でもびっくりするほど、私の心を傷つけたのだった。

今すぐに子どもが欲しいわけではないのなら、とりあえず、次の生理が来てから、ピルを飲み始めましょう。そんな話をして、ピルをもらって、病院を出た。
帰り道、すれ違ったベビーカーの赤ん坊が、私の顔をじっと見つめる。
いつものように、かわいいなぁと笑って手を振る。きっと、笑えていたと思う。私はきっと笑っていた。そして、同時に泣いていた。

それから3週間。とある田舎のカフェで、赤ちゃんよりは少し大きな女の子に見つめられ、あの日のことを思い出す。

あの日から、自分なりにいろんなことを調べてみた。
名前が仰々しいから不安になるけれども、多嚢胞性卵巣症候群は病気というよりも、アトピーや高血圧のような「体質」のひとつ。放っておいて良くなるものではないけれど、悪化するものでもない。軽症であれば、気づかぬうちに自然妊娠することも多い。
もし不妊治療が必要でも、気長に適切に対応すれば、子どもをもつことのできる人がほとんどだから、そんなに心配する必要もない。今わかっているのは、こんなところかな。
というよりも、まず相手がいないのに、そんなことを心配しても仕方がない。だから、インパクトは大きかったけれど、そう悲観的にならず、しっかりと自分の身体と向き合っていきたい。

私の未来は目の前のこの子と同じぐらい、まだ何も始まっていないんだ

想像もしなかった診断結果は、がむしゃらに走ってきた私の足を止め、この人生で大切にすべきこと、やりたいことを考えるきっかけを与えてくれた。実は、今日カフェに来たのも、転職を考えて始めた勉強のためだったりする。
ライターになりたい。ECサイトの運営とかコンサルとか、すごく興味がある。Webデザインもやってみたい。……最近知り合ったとある人と、いろんな曲を一緒に演奏してみたい。

私の未来は、今目の前で私を見つめるこの子と同じくらい、まだ何も決まっていないし、まだ何も始まっていないのかもしれない。
だから前を向いて、やりたいことを、できることを、ひとつづつやってみる。そうしてダメなら、また新しいことに挑戦してみようよ。

そんなことを考えながら、元気に大きくなってねと思いを込め、まん丸の瞳に微笑みかける。
……あ、今、「未来」が笑った。