電車のホームにいる子ども連れ。少し前まではなんとも思わなかったが、「かわいいな」と目で追ってしまう自分がいる。
私は子どもを持ちたくない派だ。その理由ははっきりしている。私自身が今までに「生まれてきてよかった」と思ったことがないからだ。

この世は一人の人を呼び出せるほど良いところなのかという疑問

私は生まれつき、股関節の骨が数cm足りない。よくある病気で治療法もあるが、学生の頃は運動部がNGだったり、騎馬戦に参加出来なかったりした。
今ドクターストップなのは登山とマラソンくらいで日常生活に影響はないが、手術による影響が大きく、週に一度の整体がないと体調不良が伴うし、そもそも体力がない。
今は整体に出会えたものの、それまではこの身体をどうしたものかと思っていた。ちなみに見た目には全く分からないし、元気いっぱいに見える。

この分かりにくい、扱いにくい身体を背負ったことで、諦めた夢もある。色々なアクシデントがある度に「生まれてこなければ」なんて何回思ったことだろうか。
さらに言えば、私の病気は遺伝性なので、もしかしたら子どもに遺伝するかもしれない。そんなの絶対に嫌だし、健康に生まれても事故や人間関係のトラブル……人生何が起こるか分からない。

今、私がなんとかケアを続けながらでも日常生活を普通に送り、フルタイムで残業も普通にしながら働けていることを考えると、比べるものではないが先天性の疾患はそこまで重度ではないだろうと思う。
そんな私でも人生というものがこんなにも大変で、両親や周りの人達の助けがあったから、本当に奇跡のような巡り合わせで今生きている。
私にとってこの世は、そんなに良いところとは思えない。そんな場所に一人の人間を呼び出すことが良いことだとは到底思えないのだ。

子どもを持つことに不安な私。子どもが欲しいと言う彼

「生まれてきてよかった」と思える日が来るまで、子どもは考えられない。そんな確固たる意志を持った私でも、最近街で見かける子どもを「かわいいな」と思ってみてしまうのは、私達がDNAの乗り物で、本能的に子孫を残そうと身体がしているのか、なんて思ったりもする。そのくらい自然に目がいくし、「いいな」と思ってしまう。本能ってすごい。

さらに最近、彼氏が出来た。彼氏は子どもが欲しいらしい。理由の一つは「死ぬ時、1人なのが嫌」だそうだ。親のそんなエゴのために子どもを生み出して良いものなのか。
でも、よくよく考えると、子どもを産むことを最終的に決定するのは紛れもなく親で、子どもを産む行為そのものがエゴだ。
さらに、生み出された子どもは、親とは全く別の人間だから、親ができる限りのことをしたとしても、子どもが「生まれてきてよかった」と思える人生を送れる保証は全くないのだ。
なのになぜ、子どもを産む決断ができるのだろう。

子育てにはお金も時間もかかる。時間や体力はどう捻出するのだろう。
私の身体は普通より弱い。産休育休は?夫にすべて育児を任せたとしても、「小さな子どものいる女性」というだけで、正直キャリアには傷がつきそうで怖い。まだまだ子育ては女性の仕事だという意識は根強く感じる。
それにTwitterには、家事や育児に対する夫の無責任な言動や家族のトラブルが溢れている。
そんな投稿を見るたびに、こんな目には絶対に遭いたくないという思いは強くなっていく。

私の考えを理解し、うまくやっていく方法を考えてくれる彼

彼にも私の考えは全て話し、理解してくれている。
体力がないことも、「君の体力は大切な資源だ」と言って普段から気を遣ってくれる。家事も私以上に得意で、女の仕事だとは全く思っていない。家族トラブルの記事や投稿についても「ありえない」と共感してくれるので安心している。
経済的、時間的な問題は行政サービスのリサーチも含め、どうにか上手くやっていく方法を探せないかと考えているようだ。「子育ては自分がするから」とまで言っている。
それでも物理的に産むのは私なので、「子どもを産む気がないなら今すぐ別れる」とは言わず、引き続き話し合っていけばいいという心持ちだ。

そこまで言われると、考えてしまう。確かに子どもを産むポジティブな側面もある。
人間を1人生み出すことの価値は計り知れない。働いて税金を納めて、ほっといても一応生きていくことができる。そういう人間を生み出すことは、すごい価値があることだと思う。
さらに、子どもを産むことは命のリレーを繋いでいく、みたいな表現があるが、江戸時代にも自分の祖先は絶対に生きていて、それは大河ドラマの端っこに自分の先祖が写っているかもしれないみたいなことだ。そう思うと、命のつながりとは不思議で、それをつないでいくことも価値がありそうだ。
それに、自分の子どもを抱く気分というのはどういうものなのか知りたい、子どもを育てるうえで学ぶことは今想像しているよりはるかに多く、自分の人生を豊かにしてくれるものだろう。そんな風に思う気持ちもある。

思い通りにならない人生でも、きっと素敵な決断ができるはず

ここまで考えてきて、こういったら元も子もないかもしれないが、結局は成り行きなのでは?というのが私の結論だ。
人生の全部が思い通りになるわけではない。
生まれたときから今まで、思い通りになったことがいくつあっただろう。でも、だからといって常に不幸だったかと言われれば、全くそんなことはない。
実際、「子どもなんていらない」と思っていたけれど、DNAの作用と彼との出会いで揺らぎ始めている自分がいる。これから子どもを作ろうと決断したとて、蓋を開けてみれば不妊かもしれないし、それでも子どもが欲しくて養子を探してもご縁がないかもしれない。
結局、その人の人生の地図の中にあれば、その時は訪れるし、なければ来ない。それだけじゃないかと思う。

子どもを産むかどうか、まだ答えは出ない。正直、いつその答えが出るのかも分からないし、何を基準に考えるのが良いのか、いくら考えても答えが出ない。でも、今はそれでいい気がする。今は決める時ではないのだ。
いつか子どもについて決断を迫られる時が来るだろう。タイムリミットは確実に近づいている。でも、必ずしも思い通りになったとは言えない人生をどうにか生き抜いてきたから、私はきっと素敵な決断をすることができるはずだと、自信を持って言える。そのことに感謝をしながら、その時を待ちたい。