私は今、第一子を妊娠している。まもなく妊娠8ヵ月を迎えることもあり、さすがにお腹の大きさも目立ってきたが、もうすぐ自分が母親になって、家族が増えるという実感が未だに湧かない。

幸い、つわりらしいつわりに見舞われなかったため、仕事も1ヶ月に1回早退するかしないかくらいで、ほとんど休まずにここまでくることができたのだが、つわりがほとんどなくても、足のむくみや腰痛、動悸、便秘など、妊婦特有のトラブルに毎日悩まされている。

そんな妊婦らしいのからしくないのかよくわからない私が、妊娠してから子どもを産むということに対して気づかされたことがある。

それは、「命の重さ」だ。

子どもの頃に何度も学校で聞かされたし、社会人になってからもときどき口にする機会があるこの言葉の本当の意味を、私は今までちゃんと理解できていなかった。

初めて知った流産と不妊の多さ。出産は奇跡が積み重なった結果

妊娠してから、コロナ禍で人になかなか会えないこともあり、情報収集のために、妊娠週数の近い人たちが集まるネットのコミュニティに参加した。
それぞれが抱える悩みを打ち合け、お互いに励ましあったり、有益な情報を交換しあったりするありがたい場だ。

そこで驚いたのが、流産になってしまう人、または過去に流産を経験した人、そして不妊治療を何年も続けている人の多さだった。
子どもの頃、クラスの半分以上の友だちに兄弟・姉妹がいたし、なんとなく子どもは普通に生まれてくるものだと思っていたが、人間が一人生まれてくることは、いくつもの奇跡が積み重なった結果だったのだ。

そもそも自然に妊娠しようとした場合、人間のからだのメカニズム上、チャンスが訪れるのは月1回の限られた期間だ。そこでうまく受精できたとしても、染色体の異常で十分に育つことができないケースも多い。

数々の危険や試練を乗り越えて生きていると思うと「命は重い」

それだけではない。もし、今降りている階段で転んでしまったら。もし、誤って生焼けの肉や魚を食べてしまって、そのなかに病原菌がいたら。もし、世界で流行している未知のウイルスにかかってしまったら……と、母体が気をつけなければ、子どもの命が危険にさらされてしまうことは山ほどある。
しかし、どれだけ気をつけて過ごしていても、遺伝子上の問題や環境の問題で、出産前に子どもを失ってしまう可能性もゼロではない。仮に無事に生まれてきてくれたとしても、何か病気にかかるかもしれない。ちょっとした事故で亡くなってしまうかもしれない。

そんな数々の危険や試練を乗り越えて、みんな今日も生きているんだと思うと、たしかに一人ひとりの「命は重い」。
そして、テレビで毎日のように殺人事件や死亡事故などのニュースを聞くたびに、それぞれの両親が命を授かってから苦労して育ててきた日々、または本人が苦労して生き延びてきた日々を思っては苦しくなる。

命の重さをしっかりと感じながら、出産に向けて準備を進めたい

実際に自分が妊婦になってから、なぜ人間は子孫を残すためにこんなに大変な思いをするのか、本能的にもっと簡単に子どもを増やせたらよかったのに……と思ったことがある。
しかしそれは、命が重いもので、その重さをかみしめながら育児に取り組まなければならないからかもしれない。

出産したら、結婚して夫という家族を得た時と同じように、絶対に失いたくないものがまた一つ増えてしまう。それでも大切な人と、協力し助け合いながら子どもを育てていく大きなしあわせには敵わない。
だから、命の重さをしっかり感じながら、出産に向けて準備を進めたいと思う。