私は、生理も妊娠も出産も嫌いだ。なぜなら痛く苦しいからだ。
たとえ我が子を得るという幸せのためであっても、苦しむのは嫌だ。男性は何も苦しまないのに。
生理が来た小学生の頃から、ずっとそう思っている。
それなのに、今私は妊娠し、もうすぐ出産しようとしている。

慌てて始めた不妊治療は、仕事と両立できるものではなかった

女性が妊娠出産できる期間は限られている。大学生になり、人生を逆算し、"産み時"のあまりの短さに、産む予定どころか結婚の予定すらないのに、思わず焦った。
数年後、社会人になり結婚。念のために行った婦人科で男性不妊が発覚し、不妊治療が必要なことが分かった。そして今すぐ治療しなければ、妊娠は不可能になることも。
子供のいない人生でも構わない。出産が怖い、苦しみたくない。
でも、産めるのは今しかない、産まずに将来後悔するのが怖い……。
そんな追い詰められた気持ちで、不妊治療に突き進んだ。

生理周期に合わせて治療をするため、平日昼間だろうが必ず通院しなければならない。
「まだ若いから時間はたくさんあるじゃない」
「本当に必要なの?自然にしてれば、そのうちできるでしょ?」
20代での不妊治療を周囲に理解してもらうのは難しかった。
覚悟を決める時間もなく、慌てて始めた治療は、とても仕事と両立できるものではなかった。

妊娠の前から女性にばかり負担が偏ることに、焦りと苛立ち

「お腹の中で子供を育てるって何かすごいね、女性だけが体験できる特権だね!」
本格的に不妊治療を始める前はそんなふうに無邪気に笑っていた夫だけれど、ブツブツと赤黒い注射跡だらけになった私の腕やお腹を見てからは、何も言わなくなった。

原因は夫側にあるのに、大量に針を刺し、薬の副作用に苦しむは私の方であり、妊娠する前から女性側にばかり負担が偏ることに、焦りと共に苛立ちが増していく。
2人の子供なのに、こんなに不平等で理不尽なことって、あっていいのだろうか。許せない。やってられない、私は何も悪くないのに……。
やけくそになって嘆く私に、夫は「ごめんね、子供が欲しいって言ってくれて、あの時俺は、涙が出るほど嬉しかったんだよ」と、うつむきながら、震える小さな声で言った。「ほんとに嬉しかったんだよ」

「私達2人の子供、欲しいかも」
深く考えることもなくつぶやいた私の一言を、夫は聞き逃さず、ずっと覚えていたのだった。

私はやっぱり、夫が好きだ。まだ誰も会ったことのない、私達2人だからこそ会える新しい家族に会ってみたい。
2人だけの人生も、絶対幸せで充実させられる自信がある。けれど、せっかくチャンスがあるのに会わずに人生を終えたら、もったいないのではないか。
気を取り直し、不妊治療を始めて2年と少しが過ぎたころ、奇跡的に妊娠することができた。

妊娠出産の苦しみを代わりに背負ってくれる人は、誰もいない

妊娠を喜ぶ暇もなく始まった妊娠生活は、体調不良の連続で、覚悟していた10倍過酷だった。
「何かあったらすぐ病院へ来てくださいね、赤ちゃんの異変に気が付けるのはお母さんだけですよ」
優しく微笑みながら言われた一言に、緊張感が増す。
1人の人間の命が、丸ごと全部私の肩に背負わされている。
もし気が付かなかったら?手遅れになっていたら?私は一生自分を責め続けるだろう。
どんなに毎日側で親身になって寄り添ってくれている夫でも、体内の異変は感じ取れない。
妊娠出産の苦しみを私の代わりに背負ってくれる人は、誰もいないのだ。

トラックに轢かれる感じ、出血が止まらなくなった、麻酔の効きが悪く、泣き叫びながら切られた……。
私の妊娠を知ると、母やその友人、夫の職場の先輩女性社員など、こちらから聞いてもいないのに、出産経験者から数々の武勇伝が語られる。
その体験談は、中世の拷問かと思うほど、どれも壮絶だった。
「案ずるより産むが易し」なんてことわざがあるけれど、どうも現実は違うみたいだ……。

妊娠してからというもの、自分の感情が全然コントロールできなくなった。
突然無言で寝室に引きこもったり、急に思い立ってパンやクッキーを焼いたり、意気揚々と散歩に出掛けたり。
帰ってきた途端、全てがどうでもよくなって涙が出てきたり。

そんなことを繰り返しながら9ヵ月も妊娠生活を送っていると、もう気力も体力も削りに削られ、常に頭がぼんやりと霞んでくる。
出産で死んでしまうとしたら、私の残りの人生はあと40日程度しかない。なんてことだ。
ふと、死期の近いお婆ちゃんって、こういう感じなのかな、と思った。
ジタバタと抗う気力体力はどこかにいってしまい、恐怖心は頭の角に常にうっすらあるけれど、かといって何をするでもない。もはやこれまで……。
ただ、運命のその日をぼんやりしながら待つ…。

妊娠出産は辛くて孤独。けれど希望が持てるものであってほしい

それにしても、妊娠出産は、いつからこんなにふわふわハッピーな雰囲気になったのだろう。ドラマや雑誌や広告の中の妊婦は、みんな健康で幸せいっぱいだ。
それが悪いとは思わない。出産することに希望や憧れが持てる社会であってほしいと思う。

けれど私はただ、分かってほしいのだ。知っていてほしいのだ。
妊娠出産は病気じゃない、昔から誰でもやってきたこと、と軽く受け止められる怖さ、浮かれる家族や周囲と、1人で命を育てて産み出す妊婦との温度差、孤独感を。

妊婦の私に、嬉々として出産の過酷な体験を語った先輩女性達も、もしかしたらそんな気持ちだったのかもしれない。
妊娠も出産も、何と言ったらいいか、すごく"現実"だ。
生理のように、妊娠出産の辛さも気軽に語られ、少しでも快適に楽になる社会が来ることを祈っている。