夜中にこっそりと枕元にクリスマスプレゼントを置いていく父

私が生まれる12年前の曲だけれど、毎年冬になるといつも松任谷由実の「恋人がサンタクロース」が頭の中で流れている。

私にとってのサンタクロースは恋人ではなく、父親だった。
ひょろりと背が高く、夜中にこっそりと枕元にクリスマスプレゼントを置いていく。
けれど、暗闇の中で長い手足をあちこちぶつけたり何かに躓いたり……私たちきょうだいには、すぐに父とばれていた。それでもシラを切る父に、笑いを堪えながら話を合わせるのが我が家のクリスマスの風景だった。

そしていつしかサンタと称してのプレゼントはなくなったけれど、大人になってからもクリスマスになると、父から菓子やら本やらが贈られてくるのだった。

何の根拠もなく、あと数年は元気でいてくれるはずだと思っていた

けれど、今年からはもうサンタからのプレゼントは来ない。
私は今年の秋に妊娠することができたのだが、「妊娠したよ!」と報告したたった3日後に容態が急変し、父がこの世を去ってしまったからだ。

父は3年前にガンになり、コロナが蔓延し、家族は面会はもちろん、病院内に入ることすらできなくなってしまっていた。2年前に結婚し県外に引っ越した私は、実家へ帰ることもできなくなり、父の介護は母1人が全て背負うことに。

人はいつか必ず死ぬ。末期のガンなら尚更、いつ別れが来てもおかしくはないと分かっていたのに。何の根拠もなく、孫が生まれるまでは、あと数年は元気でいてくれるはず、今年のクリスマスは何を贈ってくれるのかな、今年は何を贈ろうかな、などと呑気に考えていた。

どんなに悔やんでも、父と過ごすクリスマスは2度とやってこない

結局、父からの最後のクリスマスプレゼントは、病院内の綺麗に飾り付けられたクリスマスツリーの写真になった。

なぜもっと電話やメールをしてあげなかったのだろう。どうにかして会いに行きたかった……。
たった数年前まで、「お父さんじゃなくて本物の恋人のサンタクロースに来てほしいんだけど。というか、私がサンタになるから誰か受け取って~!」と嘆いていたのに。
今さらどんなに悔やんでも、父と過ごすクリスマスはもう2度とやってこない。

今年の夏から冬は、不妊治療と重いつわりでの入院、そして父の死。新しい命の誕生と終わりの狭間で、身も心も激しく揺さぶられた数ヶ月だった。
もちろん、私にはこれからもっと激しい、出産と育児という乗り越えなければならない波が待っているのだけれど。

雑誌には、幸せいっぱいで微笑む妊婦達。やめたいのは私だけ?

雑誌や広告に載っている妊婦達は、皆愛おしそうにお腹に手を当て、伏し目がちでうっとりと微笑んでいる。聖母マリアの如く。
ヨレヨレのパジャマですっぴん、シャワーすら数日おきにしか浴びられていない今の私とは真逆だ。何週間も延々と体調不良が続き、「辛すぎる、もう妊婦なんてやめたい」と毎日泣いた。

大金はたいて不妊治療してまで授かったのに、お父さんもガンで命懸けで頑張ってるのに、妊娠は奇跡で幸せなことなのに。頭で分かっていても、辛いものは辛い。ただひたすらに、辛い。
今の私には、クリスマスに聖母の微笑み……はとてもできない。
妊婦というものは、妊娠が発覚した瞬間から母性が溢れ、幸せな気持ちで満たされ、健康で浮き足だって10ヵ月を過ごすものだと思っていたのに。太古の昔から繰り返され、皆乗り越えてきたのに。どうして私は……。世間のイメージと現実は全く違ってショックだ。

いや、私だけじゃない。聖母マリアだってほとんど吹きさらしの寒い馬小屋で、ろくな医療もなく、初めての出産を命懸けで行うのはきっと恐ろしかったに違いない。
もし今私が聖母マリアに会えるとしたら、「無事でよかったね……私だったらきっと死んでたよ…頑張ったね……」と彼女の肩を抱いて涙すると思う。

自分や家族が生きているのは、本当に奇跡。来年は一味違うものに

去年までのクリスマスは、街は煌めき、プレゼントを交換し、時に愚痴を言いながらも浮かれ気分で楽しく過ごす日だった。
今年、クリスマスの新たな一面を知った気がする。
今後無事に出産までたどり着けたら、来年のクリスマスは新しい家族と過ごすことになる。
来年からのクリスマスは、今までとは一味違うものになるに違いない。
一度寝たらくすぐられても起きない夫は、サンタ役はできないかも。サンタの役は私が引き継ごう。
何の根拠もないけれど、私は父より上手くサンタになれる気がする。