出産にはタイムリミットがある。最近はある程度高齢でも出産できる人も多いとはいうが、30歳目前になると、将来の子どもがいる生活について、やっぱり少し考えるものだ。
産む。産みたい。産まない。産めない。
どれも正解だと思うし、結局、わたし自身将来どうしたいのかは正直今でもわからない。
産みたくはないが、「産めない」可能性もあると初めて知った
19歳の頃だったか。生理がかなり遅れたことがあった。もともと不順だったこともあり、病院に行き、先生から言われた言葉。
「そんな周期で生理くる人いませんよ。無排卵ですかね?今のままだと妊娠できませんよ」
若かったわたしにとっては、かなり辛辣だった。
当時から、「どうしても子どもを産みたい」という意思は正直なかったのだけど、女性として生まれて、女性として生きてきて、"産めない"という選択肢も当時は考えたこともなかった。
結局のところ、今も内膜症に悩まされているわたしは、"妊娠できない身体"ではなかったのだけど、そうなると余計に、19歳のわたしになんて簡単にひどい言葉をぶつけるんだと、今考えても嫌な思い出だ。
そのときからわたしは、友達同士の「子ども欲しいよね」や「将来何人欲しい?」といった、ただの世間話が出来なくなった。
「子どもが欲しいから早く結婚したい」
「旦那さんいらないけど子どもは欲しい」
そんなことを言う人も意外と多くいるけれど、なぜ子どもが産めることが前提なのか、と若いうちから疑問を持っていた。
子どもが欲しくても、身体や生活環境などさまざまな要素がある
自分の子どもが欲しいから、という理由で別れを切り出された芸能人のニュースをみて、他人事ながら悲しくなったこともある。
そのニュースを一緒に見ていた同性の知り合いが、「でも妊娠って気持ちの問題だよね!」と言っていて、身体の事情を考えない人もいるのかと衝撃を受けた。
いくら子どもが欲しいと思ったところで、できるかなんてわからないし、子どもを育てる生活環境を整えられるかもわからない。
いや。欲しいと思ってしまうと、あとから悲しい思いをしそうなので考えない、というのがわたしの本音かもしれない。
そもそも、あまり人生を楽しいと思っていないわたしにとって、未来の子どもがこんなにも辛い人生を送る可能性があるのかと思うと、産んでもいないのに悲しくなることがある。
わたしが出産についてまず初めに思うことは、未来の子どもは、こんな世の中に生まれることを望んでいるのか?ということだ。
出産を選択するとき、それは「誰かの幸せに繋がる」と思いたい
いつ頃だったか、本だったか、ネットだったか、何で読んだのかも忘れたのだけど、『人間が生まれてきた理由は、誰かを幸せにするためではないか』というようなことを、瀬戸内寂聴さんが言っていたのを思い出す。
確かに、わたしは意志を持って生まれてきたわけではないけど、両親に望まれて生まれて、少なからず両親が幸せになったのだとしたら、「誰かを幸せにするために生まれた」というのは本当なのかもしれない。
だから、もしもこの先わたしが出産を選択することがあれば、それは"誰かの幸せ"に繋がることなのではないか、と思いたい。