隣から聞こえる規則正しく穏やかな寝息とは対称的に、私の頭の中では形にならない思考が渦巻いている。
夜中の3時、あと数時間もすれば窓から柔らかな光が差し込んでくるだろう。まだ一睡もできていない。

旅行最後の夜、私の意地悪な質問にも彼女は穏やかに答えた

春休み、私は最近親しくなった女友達と小旅行に来ていた。
ひょんなことから出会った彼女とは、生まれ育った環境が似ていたことからすぐに意気投合し、今回もずっと行きたかった場所とお互いの休みがたまたま被ったということで、弾丸で旅行に来たのである。

どんなことでも話が弾む彼女との時間は流れるのがあっという間で、一瞬のうちに最後の夜になってしまった。最後の夜は、せっかく素敵なお部屋をとったということもあり、二人の大好きなお酒とつまみを買い込んで部屋呑みをすることになった。
夜も更け、旅行での笑い話や思い出を一通り振り返ったところで、恋愛の話、そして将来の話へと話題が移った。

彼女には今、3年ほど付き合っている彼がいる。彼とつい最近別れたばかりで恋愛への不信感が募っていた私は、いくつか斜に構えた見方の意地悪な質問を彼女にしてしまった。
彼女は気を悪くする様子もなく、穏やかな表情で、彼との関係に不安はなく、この先もしなにかあったとしてもそれを受け入れる準備が私のなかに出来ていると答えた。
彼女のなんだか肝の据わった回答が脳裏に残りつつ、その後も様々な話題に花が咲き、どちらともなく寝る準備を始め、今に至る。私はまだ眠れない。

友人と恋愛の話をしたことで、モヤモヤとした思考が再び私を襲う

前の彼と別れてからというものの、私は焦りと不安が混ざったような息苦しい感情に悩まされていた。
もうこの先自分と恋愛する人は現れないかもしれない、私が十分でなかったから別れてしまったのかもしれない、長く付き合えなかった私には何か欠陥があるのかもしれない。
考えたところで答えの出ない意味のない悩みだと分かっていながら、悩むことをやめることができなかった。この夜も友人と恋愛の話をしたことにより、この終わりのないモヤモヤとした思考が再び私を襲う。しかし、今回はそのモヤモヤとした思考とともに、先ほどの彼女の穏やかな表情が頭に浮かんでくる。

そう、彼女の穏やかな表情をみたときに、私はこの終わらない悩みへの解を見つけたような気がしたのである。いや、元々悩みの原因にうっすら気が付いていたものの、向き合う勇気がなかった私の背中を、彼女のあの表情と雰囲気が押してくれたという方が正しいかもしれない。

悩みを繰り返すのではなく、自分と向き合う時間が来たようだ

私の悩みは、常に自分への自信の無さからくるものであった。かつ恋愛がうまくできない=欠陥という、古めかしい恋愛至上主義に影響された悩みでもあった。
恋愛は自分に自信をつけるためにするものでもないし、パートナーをみつけることによって自分が完成するわけでもない。3年付き合っている彼がいる彼女があまりに幸せでまぶしくみえたのは、彼女が「other half」(彼女を完成させるもう半分)である彼をみつけたからではなく、彼女が元々ひとりでも自信をもっていて輝いているからなのだと、「何かあっても大丈夫」と穏やかに言う彼女をみて確信した。

私はずっと、私を完成させてくれる誰かを待っていたのだと思う。でも誰かが私を完成させるのを待つのではなく、「I complete myself」、自分で自分自身を完成させる精神を持つべきなのだ。
自分に向き合い、自分のことを把握し、自分が自分の一番の理解者になる。そこに、パートナーがついてきたらラッキーくらいの気持ちで、まずは自分で自分を愛さなくてはならない。自分と向き合うことのできない弱さを相手からの好意で補おうとする恋愛など、もとからうまくいくわけがないのだ。

きっと、彼女はそこまで意識して恋愛の話をしていなかったと思うが、彼女の表情が言葉より多くのものを物語っていたように思える。結論のでない悩みを繰り返すのではなく、自分自身と向き合う時間が来たようだ。

もう時刻は明け方である。あたたかな光がカーテンの隙間から差し込んできた。私は疲れた頭を休ませるべくやっと眠りに落ちる。