私はいわゆる「恋愛感情」というものを抱くことがない。いや強いて言うなら「抱かない」可能性があるとでも言っておこう。ここで言い切ってしまうのは、やや時期尚早の感も否めないので、断定することはしない。
ちなみに、人並みに人を好きになるという経験はしてきている。誰かと付き合って、映画を見たり手を繋いだり。しかし、そこにいわゆる恋だの愛だのといった感情が存在したのだろうか。はたまた私はだらしのない女で、ただ告白されたから付き合ってしまっただけなのだろうか。
そんな疑問を基に、今一度私の恋愛遍歴を振り返ってみようと思う。
思い返してみると、私の好きという気持ちは、常に憧れと共にあった
まず、初めて私が付き合うという経験をしたのは、確か中学2年生くらいの頃だったと思う。どういう経緯があったのか、さして深くは覚えていないが、学年で一番足の速い男の子と付き合うことになった。
私にはない「駿足」という才能を持った彼は、弱冠14歳の少女(私)にとって眩いほどの輝きを放って見えた。私は彼にとにかく憧れた。その時、好きという感情よりも「私の足が速くなればいいのに!私が彼そのものになりたい!」という感情に強く襲われた。
その後、彼との恋愛自体は何をするでもなく、中学生の代名詞ともいえる自然消滅を迎え、呆気なく幕を閉じた。
もう幾つか、お付き合いをするという経験はしたことがある。ざっとまとめていくと、その恋愛の対象は誰しも、私にないものを持った「あこがれ」の対象であったと言えるだろう。
うんと背が高い人であったり、私のできない難しい数学の問題を楽しそうに解く人であったり、私の弾けないギターのフレーズをさらりと弾けてしまう人であったと記憶する。
こうして見ていくと、私の考えるこの「好き」という気持ちは、常に憧憬(しょうけい)と共にあったように思う。
ここで、恋愛以外の側面で憧憬に重ね合わせた思考をしてみると、18年前まで遡ることになる。私がまだ3歳だった頃、巷ではとあるドラマが放映されていた。学園モノのヒロインが、社会や大人に対する怒りを暴力や暴言といったやや過激な形で表現するものであった。
それを見た私は彼女に憧れた。そして、椅子を蹴る、暴言を吐く、唾を吐く等の3歳にしてはかなり尖った行動を強行するようになった。
憧れが生まれるたびに私は、新たな世界へと足を踏み入れている
困りきった母は幼い私に真実を突きつけることで、それらの悪行をやめさせることに成功する。
「彼女は女優さんで、普段からあのような行動をとっているわけではないのよ。あなたも椅子を蹴ったり暴言を吐いたりしたいのなら、それは芝居の世界でないといけないの」
そう告げられた。深く考えることはしなかった。早速、母に頼み込んで子役を募集している事務所に連れて行ってもらうことになった。
所属が決定したあとは、トントン拍子で物事は進んでいった。早く演じてみたいという憧憬からくる衝動は抑えきれず、善行的なエネルギーへと変換され、幼いなりに様々な経験をさせてもらった。憧憬という原動力は、その日以来、私を様々な場所へと運んでくれる素晴らしい力になったといえるだろう。
中学校3年生になると、私はあるバンドマンに惚れ込んだ。憧れた。私は彼そのものになりたいと思い、高校では軽音楽部に所属した。
彼へ向けた愛の歌を歌い、バンドで大きな大会に進出するという経験も貰った。今でも芝居と音楽を続けているし、何か「あこがれ」が生まれる度に、私は新たな世界へと足を踏み入れるという日々を過ごしている。
わたしの「あこがれ」は少しばかり人と違う。私だけの愛の形だ
このような歪な形を取りながらも、いつも憧憬は私の原動力となり、それなりの場所まで私を運ぶだけでなく、人生における飛躍までをももたらしてくれたといっても過言ではない。
しかし、前時代的な考え方を以ってすれば、恋愛感情を持たない私のような人間を恋愛というカテゴリーからのみ見て、「あんたは欠陥品だ」「まだ若いから本当の恋を知らないだけ」等と説教を垂れてくる輩がいるかもしれない。
では、そんな皆々様に見せられるもんなら見せてやりたいものがある。それは私の二つの掌である。
私のこの愛すべき二つの掌には、他の誰とも比べ物にならないくらいの大量の愛情線が刻まれている。そんな私が人を愛すことのできない、ましてや他者様に欠陥人間と言われるような者である訳がない。
今、私がここに述べた「あこがれ」という気持ちは少しばかり人と違うかもしれない。しかし、それもまた私だけに与えられた愛の形なのかもしれない。
いやここは敢えて断定させてもらおう。私の愛とは憧憬そのものであると。