出産はいつでも神秘的だ。
小さな卵子と、小さな精子が出会い、受精卵となり、分裂をして、十月十日経てば人間の姿形になって生まれてくる。
神秘的で、おめでたいことと思う一方で、妊娠するたびに思うことが3つある。

1つ目は、出産するまでの身体のシステムについて。
2つ目は、出産にかかる費用について。
3つ目は、出産に伴う痛みについて。

産むことができる性に生まれて思う。身体のつくりの理不尽さ

妊娠週数が進むにつれ、子宮はどんどん大きくなり、さまざまな内臓を押しのけて身体の中で成長する。
普段の子宮は縦に約7㎝なのに対し、妊娠後期には縦に40㎝程にも膨れ上がるらしい。
なんとも無理のある数字だ。
そのおかげで、トイレは近くなるし、ごはんは何度も分けて食べなければいけなくなるし、腰は痛くなる。

とある映画のワンシーンで、エイリアンの子どもが、産みつけられた別の生物の個体から飛び出してくるシーンがあった。
そのシーンを妊娠中に何度脳裏に浮かべただろう。
特に双子妊娠中は、どこかから裂けてしまうんじゃないかと思うほど大きくなったお腹を、愛しい気持ちと不安な気持ちで毎日さすっていた。
願わくば、もう少し無理のないシステムで子どもの成長を見守りたいものだ。

出産には費用がかかる。そして痛みを伴う

私は2度の出産を経験しているが、出産する際には2回とも預かり金として数十万円を納入する必要があった。

子どもを1人育てるのに1000万円が必要だと聞いたことがある。
もちろんばらつきはあるだろうけれど、莫大な費用がかかることは予想できる。
それなのに、まず生まれる前から負担が大きいことに驚きを感じる。
子どもを産むことへのハードルが上がる1つの要因だろうと思う。
しかもこの出産費用も、病院によって大きく差が出るのも疑問である。

我が家の夫は私の出産の度に、「毎回辛い思いをさせてごめんね。代われることなら代わってあげたい」と言っていたのだが、本当に代わってもらいたい。
どうにかこの痛みを半分ずつ、産む性の自分とパートナーに分割できないものかと考えてしまう。
何なら、同じ痛みを味わえる装置の中に出産前研修として入っていただけないものだろうか、と考えている時期もあった。
痛みがわかれば、生まれてからのいたわり方も、育児への姿勢も変わるんじゃないかと思う。

強く勧めることはできないけれど、私は出産してよかった。

私の周囲はちょうど結婚ラッシュで、これから子どもを持つかどうか、持つならタイミングはいつにするのかと悩んでいる友人が多い。
友人にこう聞かれたことがある。
「実際、子どもを産んでみてどう?」

私の答えはこうだった。
「自分の好きなこと、やりたいことが今あるのなら早めにやった方がいい。出産して、自由な時間はかなり減った。だけれど、私は子どもを持てて良かったと思う。こんなにもかわいいから」

出産の大変さ、そのあとの育児の大変さを知っているからこそ、安易に出産を勧めることはできない、私なりの回答だった。
産む産まないの選択権は女性にあるし、人それぞれのタイミングだってある。
それでも私は毎日てんやわんやな育児生活の中で、子どもたちの笑顔に幸せを感じている。
これは身体のシステム的な問題も、出産費用の問題も、出産に伴う痛みも、全てはねのけてしまうような幸せだ。

けれども、願わくばもう少し身体に無理のない、費用もかからない、痛みも少ない出産が叶うといいのになと思っている。