家族随一の風流人である弟が導入した、我が家の習慣

いい月が今日も出ている。

母と「いい月やね」と言い合う夜は美しい。
弟と「いい夜やね」と密やかに月見団子をこねる夜は嬉しい。
妹と「美味しいね」と言い合うお茶会は、結構楽しい。

我が家には、月がきれいな夜に月見団子をこねる習慣がある。
始まりは弟で、おそらく弟は我が家随一の風流人である。超弩級の理系で古文漢文ちんぷんかんぷんな弟だが、虫の声を愛し月を愛でる情緒は備え持っていた。

そもそも彼によって導入された我が家の習慣は多く、ちゃんと桃の節句にはひなあられに甘酒を飲み、端午の節句は柏餅とちまきを食べ、夏越の祓の日には欠かさず水無月というういろうを食べ、七夕にはそうめんを食べる。他にもハロウィン、中秋の名月の月見も行うし冬至に南瓜は食べるし。桜の時期には桜の塩漬けで桜あんぱんも作る。

こうやって書き連ねると、非常に食べ物関連のことが多いのだが、実際には弟は菖蒲湯にも柚子湯にも入りたがった。
ただ我が家は風呂の水で洗濯を行うので、それは無理だと説得し、結果食べ物関連の習慣だけが残ったのである。

数分とも数時間ともつかない時間を、月の光を浴びて過ごす

その中で何だか回数が多いのが月見団子だった。
もちろん白玉粉を練って団子を茹でるのもいいのだが、手軽にコンビニで購入した団子を食べるのもそれはそれで楽しい。
団子が揃ったら、我が家にその時あるいっとういい緑茶をいれる。急須も引っ張り出してお茶を入れるので、我が家の急須は埃がかぶることもなく茶渋がついてしまっている。一応気付いた人が磨いているのだが、細かいところには届かないので百均の急須なのに年季が入った風情を醸し出している。
茶飲みも、その時ばかりはちゃんと湯呑みを持ってきて飲む。4人でテーブルを囲んで、月そっちのけで団子を食べるのだ。

甘いものを夜10時くらいに食べる背徳感は、全てのものが無性に美味しくなる魔法だ。そして決まって最後は電気を消して、南向きの窓から月を眺める。我が家の家の窓の前はビルなのだが、その奥に結構な光り方で月が出ている。
いい月だねえ、と誰かが言い出して、それに温かな沈黙で返す。体感でいえば、数分とも数時間ともつかない、曖昧な時間をひたすら月の光を浴びて過ごす。

別にスピリチュアルなパワーをもらうでもない。ただ胃の腑は温かなお茶で温まっている。そして誰からともなく歯を磨こうと言って、歯を磨いてから眠る。
その日はなんとなく寝る前のスマホも封印してしまうのだけれど、私は寝るでもなく、そのあと日付が変わるまで、なんなら日付が変わった後も月を眺めていることがある。冬は窓越しで、夏は夜風に当たりながら、とりとめもなくいろんなことを考える。
おそらく私は月見の夜を眠れない夜を過ごしているのではなく、あえて眠れない夜にしているのだと思う。凪いだ気分で過ごす夜は、意外といいものだ。

弟が一人暮らしを始め、リモートで月見会。弟の不在を噛み締めた

ただ、そのメンバーがこの春から一人減った。弟が一人暮らしをはじめたせいだ。
まだ落ち着かないようで、今のところ一回だけ月見会をリモートでやった。
弟に至っては、なぜかコーヒーゼリーに生クリームをかけたものを「月っぽい」と食べていたので、大変脱力した。そもそもリモートでやるとなんとも風情が半減する。でもやはり家族というか、いつものメンバーで夜に密やかなお茶会をするのは楽しくて、やってしまったのだけれど。

その日の私は、みんなが寝静まったあと、はっきりしてしまった頭で弟のいなくなった穴を噛み締めていた。
胃の腑はお茶で温かいけれど、やっぱりどこかソワソワしている。だが、その埋め方はおそらく弟がこっちに帰ってくることしかないし、多分それはもう不可能なのだ。なにせ彼は自分の進路のために歩み出しているのだから。

だけど、やっぱりさみしいもので、私は月を眺める。
多分他のメンバーだってそういうもんだろう。さびしいものはどんなに誤魔化したって寂しい。今日はあんまりみんな月を愛でなかったな、と思ったけれど、月の青白い光は見ているだけで確かに少し寂しい気持ちになるから仕方がないのだろう。
早々に床に就いた母と妹の気持ちもわかるので、私は窓の向こうの月に息を吹きかけ、曇りガラスにしてぼやかした。
窓の向こうの月だけでなく、ビルも夜空も曇って滲んだのは気のせいだと思いたかった。