出産は怖いものだ。
私が出産と聞いて真っ先に思い浮かぶものは、母のお腹にある帝王切開の傷跡だ。下腹部に、周りの肌色よりも少し白い線が縦方向に一本入っている。
私はその手術の痕が、私と母の関係を表す、消すことのできない証拠だと感じる。私が母の体から出てきた瞬間から、途切れることなく「親と子」であることの証拠。
帝王切開は想像するだけで痛い。母と私はその試練を乗り越えた
私は低出生体重児として、予定日より早く産まれた。
原因については詳しく聞いていないが、検診の時、母が病院の先生に怒られ、「このままだと赤ちゃんもお母さんも危険な状態です」と言われたという。
切って産むしかなくなった。そうわかった時、自分だったらどれだけ慌ててしまうだろう。
お腹を切り開く手術は、想像するだけで痛い。麻酔はあるが、それを打つ注射針ですら自分は苦手だ。今の自分にはとても怖い。
しかし、母と私はその試練を乗り越えた。
手術は成功し、他の多くの赤ちゃんよりも少し長い入院を経て、私と母は退院した。
保育器の中に入っている姿が弱々しかったこと、その間に頭を傾ける方向が偏りすぎて片耳が押しつぶされ、曲がる癖がついてしまったこと。身体があまりに小さいので、父は私を両手の中指だけで抱っこしてみせたこと。母からは色々な話を聞いた。
みんな今、私と母が生きているから聞けたことだ。
母が出産した26歳という年齢を超えたが、出産は未知の世界
帝王切開という形の出産があってよかった。もしそうでなければ、私がこうして文章を書けるようになることはなかったかもしれない。後に産まれてきた妹や弟に会えることもなかったかもしれない。
そう考えるといつも、どきどきする。感謝の気持ちもあるが、自分がいなかった世界もあったのだと思うと、不思議な感情に包まれる。
ちなみに、保育器に入っていた間についた耳の曲がり癖は、もう治った。
小学生の頃までは、耳を顔側に曲げてもすぐ戻らないのを面白がって「餃子みたい」などと言っていた。今はできなくなってしまい、少し寂しく感じる。
私はもう大人になってしまった。いまや、母が出産した26歳という年齢を超えた。
出産とは何か、まだしたことのないその体験については、未知の世界。
ただわかっていることは、一度産んだら、その瞬間から母は母、その子は子になるということだ。たとえどれだけ不安でも、自分にはまだ早いと感じても。
出産と、その後に待っている育児という戦いは地続きで、区切りはついても終わることのない大仕事。
出産してみたいと思うのは、命がけで産んでくれた人がいるから
でも、そんなことを機会があればいつかしてみたいと思っている私がいる。
それは、「女性だから」「健康だから」「出産可能な年齢だから」ではなく、命がけで産んでくれた人がいるからだと感じる。
もしも母が、出産の前後に大変だったことを話してくれていなければ、私は自分の命の居場所に気付くことができなかったかもしれない。私は母の身体から切り離されても、母の身体の一部だった事実に変わりはないということに。
私たちはどんな形であれ、この世に誰かの身体から産んでもらった生き物なのだ。「犯罪者も人の子」という言葉に、母はこう言っていた。
「どんなに大きくなっても、悪さしても、親にとっての子の第一印象は生まれたての真っ赤な泣き顔なのよ」
出産は、親にとっては人生上の大事な選択であると同時に、一人の人間にとってのすべての始まりでもある。そんな大きな出来事が、やっぱり私は怖い。でも、怖いものであるべきだと思う。
誰でも乗り越えるようなものではない。そして怖いものであればあるほど、乗り越えた自分の話はきっと子に聞かせたくなるだろう。そうして受け継がれていくのだと思う。