人が義務教育を終えるまでの間に、最も尋ねられる質問は『将来の夢は何ですか』だと思う。
幼い頃から私は様々な将来の夢を持っていた。保育士、看護師、ケーキ屋さん、芸能人、マッサージ師、ガソリンスタンドの店員など。
その中でも、本格的に目指していた将来の夢は「医師」だった。
しかし、この夢の半分は自分の憧れ、もう半分は周囲からの視線や期待によって構成されていた。
作文が新聞に載り、「医師」という夢が知れ渡ってしまった
きっかけは小学校中学年の頃、授業で将来の夢について作文を書いたことだ。
当時、複数あった将来の夢のうち、私は「医師になりたい」と作文に書いた。
書いた作文は想像以上に評価され、地元の新聞に掲載されてしまった。新聞を読む多くの人に、私の夢が知れ渡ってしまった。
もちろん、医師に対する憧れはあった。
幼い頃から病気がちで、手術するほどの大怪我を経験した私は、病院の職員に何度もお世話になった。その中でも、私の症状をよく診てくれた優しい医師を見て、「医師になりたい」という気持ちが芽生え始めたのだ。
しかし、世間知らずだった私は、医師になることがどれだけ大変か知らなかった。
医師になるためには医学部医学科に6年間在籍し、国家試験に合格しなければならない。加えて、医学部医学科の偏差値は非常に高い。この事実を知ったのは高校に入学してからだった。
医学部志望者の現場見学での小さな恐怖。医療の道が怖くなった
高校生活に慣れてきた頃、私は「保健学科」の存在を知った。
医学部に属する学科の一つで、検査技術や理学療法、放射線技術などの専攻がある。
これまでの私は医師や看護師など、病院で患者の目に入りやすい職業は知っていたが、検査技師や理学療法士など、医療の裏方として支える職業に興味を持つようになった。
その後の進路希望調査の第一希望に「医学部保健学科」と記入し、提出した。
しかし、担任から「本当にこれでいいのか?」と問われた。私はキョトンとした。
私は高校で初めての定期試験で好成績を出してしまい、希望した医学部保健学科はほぼA判定だった。
担任の問いに言い返すことができず、とりあえず医学部医学科を目指すことにした。
ある日、医学部医学科志望の生徒を対象とした病院の現場見学に参加した。普段見ることのできない病院の裏側を見ることができた。
そんな中、心電図体験で私が選ばれた。ベッドに横になった患者に電極をつけて、実際に検査するのだ。
患者役は参加していた男子生徒。上半身裸になった彼に、恐る恐る電極をつけた。私の手が彼の体に触れた瞬間、小さな恐怖が生まれた。
現場見学終了後、私は心電図体験での感情を振り返った。医師になったら、当然人肌に触れることになる。たとえ患者がどんな状態だったとしても。医療の裏方になったら、人の血や体液を検査することになる。
健康な男子の体に触れただけで恐怖を感じた私に、人の命に関わる仕事ができるのだろうか。医療に携わる自分を想像すると、恐怖がさらに大きくなった。
そして、考えに考えた結果、医師だけでなく、医療の道を諦めることにした。
「医師を目指す私」を吹っ切れたおかげで視野が広がった
学年が上がって、担任が変わり、進路変更したいと伝えた。新しい担任は驚いたが、そんな私を受け入れてくれた。
科目ごとの成績に大きな偏りがなかった私に、担任は多様な学問に触れることができる大学を紹介してくれた。学ぶこと自体好きだった私は、進路変更し、さらに文転(理系から文系に変更すること)した。
やっと、「医師を目指す私」から吹っ切れた。
色々な大学を比較検討して志望校を決め、不足している文系科目を補いながら受験勉強に励んだ。その結果、第一志望の大学に合格した。
入学した大学では、想像以上の学びと経験を得ることができた。学年が上がるにつれて、知的好奇心も高まった。留学と大学院を含めて、大学には7年間在籍した。医学部医学科超えだ。
今働いている会社に出会えたのも、幅広い学問の中で、私が選んだ専門分野を突き詰めた結果だと思っている。現在も好奇心は向上中なので、ひょっとすると新しい仕事を見つけるかもしれない。
現在の私は、好奇心を身に纏い、仕事とプライベートの両立に試行錯誤しながら過ごしている。
これから自分の視野が、さらに広がっていくのが楽しみだ。