書けなくて眠れない夜と、書けるから眠れない夜がある
物書きになりたい。その目標が定まってから、エッセイの投稿を1月からほぼ毎週続けている。3月の頭は引っ越しの忙しさで、2週間ほど投稿は休んでいた。4月に再就職してからは、昼間は働いて夜に書くという生活だ。
筆の進みにはムラがある。にっちもさっちも行かず書けないとき、もしくは思ったよりも仕事で疲れてしまったときには、早々にWordを畳んで布団へ入る。このまま唸っていても、眠気が遠のくだけで書けるようにはならないからだ。
ものすごく難しいことを考えながら目をつぶれば、11時前には夢の中にいる。大体4時半には目が覚めるので、頭の中でプロットを小一時間練ってから出勤し、終わったらまたラップトップに向かう。
逆に筆がよく乗る日は、締め切りに関係なく2時間でも3時間でも書いてしまう。学生時代も、レポートを一気に書こうとして徹夜してしまった。フランスの作家、ゾラの大作について8千字の課題が出された際には、3徹の末に膀胱炎である。暑い時期にシャワーも忘れて、不規則、不摂生、不衛生を極めた結果であった。
今はさすがに翌日の仕事に影響してはまずいので、12時半にはすべてのルーティンを終えて寝るようにしている。
書けなくて眠れない夜と、書けるから眠れない夜が私にはあるのだ。後者の夜更かしは全然苦にならない。わくわくして眠れないのとはまた違う充実感だ。
高校受験のときから、恒常的に夜更かしをするようになった
夜更かしをしていいのは大晦日のみ。9時以降はテレビを消す。我が家は子どもに規則正しい生活を送らせることを徹底していた。小中学校の宿泊学習では、消灯して5分で熟睡している私に同室メンバーが驚いていた。初めて行くところでも眠りやすい体質になれたのには感謝している。
恒常的に夜更かしをするようになったのは、高校受験のときだ。中学校が家から遠いので、週末の夜に集中的に勉強した。苦手だったコーヒーも、夕方の眠気対策のために塾の自販機で買って飲んだ。
iPodもスマホもないから、BGMは技術の授業で作った手回し充電のラジオである。金曜日のお気に入りは、某男性アーティストの番組だ。
前述のとおり、我が家では音楽番組やバラエティーをリアルタイムで視聴できない。彼の曲は学園祭のテーマになるほど人気があったけれど、同級生の輪にはやはり入れなかった。本人が新曲情報などを話してくれるのはありがたい。
ラジオは充電器が消耗してしまい、合格発表の頃に壊れた。今の夜の友は、iPod touchとTSUTAYAで買ったBluetoothイヤホンだ。彼のベストアルバムも、ちゃんと入っている。
自分のために夜遅くまで活動できた、大学の最後の2年間
合格できたのはいいものの、夜更かしは苦しいものになった。課題が山のように出る上に、1日1単元のペースで授業が進むので予習復習にも多く時間を割く。7時間後には万全の状態で朝練に向かわなければならない。
何故こんなに理解が遅いのか、ペースが上がらないのかと、それだけが頭を占めていた。自分はここへ来てはいけなかったのではないか。横になっても、明日目が覚めるのかどうかさえ不安だった。
根底にあったのは、この受験は100%が自分の意志であると言い切れない、やり場のない苦しみだ。周りを安心させるためだけの選択をした。その事実がトラウマとして今も胸に刺さっている。
結局、自分のために夜遅くまで活動できたのは、大学の最後の2年間。明日の心配などせず眠りにつき、時には我を忘れて勢いのままに朝までレポートを書く。週末にはリフレッシュのためにサウナやライブハウスに行った。
サウナに併設されたカプセルで、深夜ドラマを鑑賞しながら寝落ちする。あれ以上に楽しい夜はもうやってこないだろう。
あの眠れぬ日々から十数年。新卒で入った会社でのディスコミュニケーションはあったものの、前向きに日々頑張れている。自分のキャリアのために胸を張って行動できることが何より嬉しい。
勉強だけでなく、顔や手のケア、読書、週末の行動計画、そしてエッセイ原稿の作成と、眠れぬ夜はやることがいっぱいだ。20周年ベストをBGMに、アラサーの夜はまだ終わらない。