つくづく思う。人生は変化の連続で、変化は決断ゆえに生まれる
「決断」
改めて漢字を見ると、結構強そうな字面に見えてくる。進む道を決めて過去を断ち切ること、それを私は決断と呼んでいる。
これまでの人生で、1番の決断って何だろう。
そう考えたらあまりにも多くの決断があって、自分の人生が標高の高い山を登っているような感覚に思えてきた。
何かにチャレンジしたり、誰かに思いを伝えたり、そういう前向きな決断もあれば、誰かとさよならしたり、何かをリタイアすることを決めた決断もあった。
人生とは変化の連続であって、変化は決断ゆえに生まれているとつくづく思う。
なんでこんなに感慨深くなってしまってるかと言うと、それは今、人生の最重要分岐点にて、決断に迫られているからかもしれない。
叶わないと分かってることには、最初から手を出さなかった
この春で大学を卒業し、めでたく社会人1年目になった私は、既に今の仕事を辞めるか悩んでいる。
その理由は、ただなんか違う気がしたから。
大手の企業なので、親にも友達にも周りには総出で止められている現状。だけど実際、フィーリング人間である私の「なんか違う」という感覚は、徐々に私の精神面をひどく蝕み始めた。気づくと適応障害になりかけ、働き始めて早々にお休みを取らせてもらう羽目になってしまった。
それから少し落ち着いた今、私が直面しているのは、本当にやりたいことはなんだろうか、ということ。
私は、学生時代には人よりもやりたいことを自ら進んでやってきたし、周りにも自分はそのような人間と思われて生きてきた。
それでも過去にいくつか、漠然とした夢を書き出しては、叶わないと勝手に思って静かに消してきた。全てやりたいことはやってきたように、周りにはキラキラした自分を見せて、実は叶わないと分かってることには最初から手を出さなかった。部活なんて本気でやるかよ、と言ってるダサい男子高校生みたいな。
そんなある意味どこか冷めている自分は、就活の際も、御社大好き内定獲得ゲームのように人格改変をしながら行ったせいで、本当の自分の声を聞くことをしなかった。未来のことも、自分の働いてる姿も想像せず、ただ待遇が良さそうな大手を選んだ。
やりたいことをやり、自分が自分を好きでいられる場所にいたい
私は基本的に、未来よりも今が大事で生きている。未来のための我慢がどうしてもしたくない。今自分の思う感情に素直でいたいと思っている。だからこそ未来のことをいつも疎かにしてきた。その全ツケが今来ている気がしている。
それでも、この状況を前にしても、周りに諭されても、やっぱり今の自分の気持ちが大事だと思う精神は変わらない。きっと変えられない。その気持ちが強くなるにつれて、辞める辞めないの究極の決断に迫られている。理性と本能が常に喧嘩しているような状態だ。
やりたいことをやりたい。
自分が自分を好きでいられる場所にいたい。
心の底から笑えることが当たり前だった自分を取り戻したい。
今の会社を辞めることが、世間から見たら不正解でも、自分が過去に抱いて消した夢の一歩を踏み出してみようかなと思っている。
それはとても苦しい道のりかもしれない、途中でやめたくなるかもしれない。今までと違って、手を伸ばしても届かないかもしれない。今の会社を辞めたことを後悔するかもしれない。
同調したくないと言っていた私は、やはり社会の歯車になれない
でもやる前から「かもしれない」を言い始めたら、一生終わらないのもわかっている。
同調したくない、枠にハマりたくない、決めつけられたくもない、人と同じなんかじゃ嫌だ、そんなことを言って出る杭のように生きてきた私が、少し良い子ちゃんをやり過ぎてたのかもしれない。
やっぱり私は、社会の歯車になって周りに同調することに向いていない。それが苦痛だから、今の会社もなんか違うと思ったんだろう。我慢なんて性に合わない。
私はきっとしばらくしたら、迷い続けることに耐えかねて決断するだろう。自分の感覚を信じ抜いて、やりたいことをやるために、心に漂う弱気な暗雲を断ち切ってみせる。
そしていつかこの決断が私にとって、生涯愛せる決断になりますように。