私は今、過去の自分に感謝もしているが、呆れている。
私は猪突猛進である。衝動性があり、物事の後先を深く考えずに突き進んでしまう。役職を担うのも、新たな活動に挑戦するのも、人に気持ちを伝えるのも。

衝動性は良い結果も残したが、そうでないものは2倍ほどある

私は高校時代、とにかく何かを成し遂げたかった。高校の部活の部長や委員会の委員長になって、部活や委員会で新たな活動を取り入れ、みんなで挑戦した。その活動により、さまざまな表彰を受けたことや新聞に掲載されたことは名誉であり、自己肯定感の低い私の中でも自信になった。私の衝動性について来てくれた部員や委員には感謝しかない。

これらの私の衝動性は、結果的に良い成果を挙げた。しかし、これまでたくさんの悪い結果や影響を及ぼした衝動性はこの2倍ほどある。
私の衝動性を「役職立候補」「新規活動の挑戦」「気持ちの表現」とジャンル分けしたとき、一項目と二項目は比較的良い成長の糧となった。一方、三項目は反省や後悔の多いものばかりである。
特に、好意を寄せる人への気持ちの表現は、過去を振り返っても呆れるものばかりである。それにより今、僥倖を感じることもあるけれど。

想いを直球で伝えることを厭わない。すぐ決断し、行動したい

私は、好意を持った人には直進するし、想いを直球で伝えることを厭わない。巧妙な駆け引きをする技術を持ち合わせていないからこそ、決断も行動も即刻下したいのである。
そして、結果がどうであれ、今できる行動を、今行いたいのである。色々と作戦を練っていると、もどかしくていてもたってもいられないのは、私の短所でもある。
そんな性格もあって、とある男性への好意を、直球で投げかけたことがあった。

これまでの人生で、自分から人を好きになったことがなかった私は、どうして良いのか分からず、とりあえず「好き」を伝えておきたかったのだと思う。
今思うとその決断は、時期尚早であった。「好きになった方が負け」という言葉をどこかで耳にしたことがあるが、それも的を射ている言葉だと感じる。もう少し落ち着いて待てば、もう一歩引いていれば、相手からアプローチを引き出すことができていたかもしれないと思う。
先にアプローチをかけてしまった私は、どんどんと彼の沼にはまり、「好き」の搾取を買って出てしまうのである。

彼に「好き」を投げ続ける私。段々都合の良い存在になっていた

それは一年前の話。「好き」を直球で投げかけ続けた私は、全身全霊で彼に尽くし、彼を求め、いつかは彼からの「好き」をもらえると信じ続けていた。
彼は私が求めたことには応じてくれるし、甘い言葉をくれた。そして、彼の要求を私の要求と混同させるようにしながら同じときを過ごした。結果的に、彼と私の間で起こること全ては、私の選択であり、彼はその選択に応じているだけ、という構造になってしまった。
つらい日々であった。段々と私は、都合の良い存在になっていった。

そこで私は次なる決断をする。曖昧な関係に線を引くというものである。
私は、一方的に慕っていた彼との線引きをした。自分の選択を大切にしようと思った。どんな関係の人であっても、相手と均等な思いの量を保つことは不可能である。しかし、一方が過多であることはお互いにとって健全ではない。
それに気づいた私は今、彼との連絡を絶った。いつも自分から投げかけていた連絡をやめた。
これは、私にとって苦しい決断であったが、彼からの連絡が来るようになったとき、本性が徐々に見えてくるようになった。そこでやっと目が覚めた。

進む決断もあれば、やめる決断もある。決断というのは人生を大きく変える要素であると考える。