小さい頃から大体のものは弟に譲ってきたように思う。
テレビのチャンネル、お風呂に入る順番、夕ご飯の時の会話の主導権、借りてきた漫画、お年玉で買ったDS。

小さい頃は怒って喧嘩していたかもしれない。だけど次第にそんなことしても弟が癇癪を起こせば、さらに大変になる。両親に言ったってイラつかれて逆に怒られてしまう。
そんなことを繰り返していくうちに、“諦める”ということを覚え、なんでも弟が絡んできた時点で譲ってきた。

弟を遠ざけ、本音を口にしないことでやり過ごすしかなかった

それは私の逃げだった。
もう私に関わらないでよ。あんたに関わると碌なことがないのよ。
弟に対する世間の冷たい目を目の当たりにするのも、いい加減耐えられなかった。
もうこれ以上、ぶつけどころのない怒りを溢れさせたくなかった。
これ以上怒りを増やしてしまえば、私はきっと弟に取り返しのない言葉を言ってしまいそうな気がして。

そうして弟を遠ざけた。
進路の話になると、両親は笑顔でこう言った。
「将来は特別学級の先生になるのよね?あなたは障害をもつ子の気持ちも家族の気持ちもわかるのだから」と。
その言葉には暗に、これから障害の知識をさらにつけ、弟を支えろと言われているようなものだった。

笑顔で有無を言わさないような物言いに何も言えず、いつも笑顔を返し、なんとなく誤魔化していた。
怖かった。
そんなの嫌だ、私は私のやりたいことをやりたいんだ。弟のために進路を決めるなんてしたくない。
なんて、そんな言葉を言ってしまえば最低な姉だと軽蔑される。
みんな弟を支えるために頑張っている。“家族”だから。
それなのに、私だけ自分のためだけに生きたい、だなんて言えなかった。

私は私の人生を生きたい。そのために実家を出ることを決めた

だけど、歳を重ねるごとにどうしても私は自分の進路だけは譲れないという思いが強くなった。
分かってる。両親がいなくなったら私以外に弟を支えられる人間はいない。両親が悲しむ、弟が路頭に迷う。
だけど……だけど、じゃあ私は何のために生まれてきたの?弟を世話するため?……違う、違う!!
涙が溢れた。
私は私のために生きてるんだ。
何かあった時、それを弟のせいにするような人間にはどうしてもなりたくなかった。
私は実家を出た。
自分の人生を歩むために。

家族とたくさん衝突した。
もう離縁だ、顔を見せるなと言われたこともあった。
だけどこれだけはどうしても譲れなかった。
私は私のために生きたい。
ひどい姉だとなじられるかもしれない。
最低だと罵られるかもしれない。
それでも、私は私の人生を選んだ。

姉ちゃんと呼んでくれた弟。どんなときでも私はあんたの姉ちゃん

その後、たまに家族から連絡が来る。
弟が助けを求める時は、どんな用事よりも優先して実家へ帰る。
それは大体、何かの試験勉強だったり履歴書の書き方だったりする。弟はずっと特別学級だったから勉強の仕方を知らないのだ。
そのたびにいちから一緒に勉強する。
他の人なら一回で合格できることが、弟は何十回やってもできない。両親も匙を投げていた。しかし私はずっと自分の勉強をしていたからやり方は分かる。自分がやってきたことが弟の役に立てることが嬉しかった。

実家から戻って数日後、普段電話なんてしてこない弟から電話があった。
「合格した!!ありがと……姉ちゃん」
この時初めて“姉ちゃん”と呼ばれた。
ずっと言葉を話せなかった弟。
話せるようになった頃にはもう私から距離をとっていたもんね。

こんな姉でごめん。
それでもどんな時だって私はあんたの姉ちゃんだから。何かあったら連絡して。飛んでくから。
だから、姉ちゃんが姉ちゃんの人生を歩むことをどうか許してほしい。