何が好きで、何のために生きているか、わからなくなった

自分は毒親に育てられたと認識している私にとって、時折大きく報道される痛ましい児童虐待のニュースは他人事には思えない。
でも、犠牲となったその子たちとは違って、衣食住に不自由なく育ててもらい、意識を失うほどの暴行を受けたこともない。そんな私に、あの子たちの苦しみを本当に理解することなんてできない、と思われても無理はないかもしれない。
それでも、一度は毒親に魂を奪われかけたことは紛れもない事実だ。そうでなければ、あるときから今日までの何年も、親族一同と一切の連絡を絶ってでも1人で生きてきたほどの強い怨恨が保てたはずがない。

私の毒親は、私が私らしく生きることを許さなかった。私は人間ではなく、親のお人形かロボット。私が自尊心を持ってもいいことすら私から忘れさせた。だから当然、自分は何が好きで、何のために生きているかわからなくなった。
小学生の頃にはすでに、生きている意味が見出せずに、何度この世から消えてしまいたいと思ったかわからない。
これが「精神面での虐待死」でないなら、何だというのだろう。

もっと早く距離を取れていたら、違った人生だったかもしれない

全てが毒親のせいだとは言わないが、人生の序盤に深く傷付けられたり、歪んだ愛情でがんじがらめにされたりすることは、その後のその人の人生に多かれ少なかれ不都合な影響を及ぼすのは間違いない。
たまたま物理的に命を奪わない人たちだっただけであって、彼らが親でなければ生きていたはずの「自分」が今ここにいたんだろうな、という、どこか自分の中にぽっかりと穴が空いているような感覚に陥ることがある。その「自分」の存在すら、もう誰も覚えていない。

亡くなってしまった子供の魂は成仏され、親からも解放され、加害者である親は社会的制裁を受けることになる。でも、私の毒親の場合はどうだろう。
物理的に命を奪った代償に実名を報道されるような毒親より、よほどタチが悪いと思うのは私だけだろうか。

残念ながら、一部のみニュースになるだけであって、日本では日々数多くの児童虐待が通報されている。そして、運よく通報されたとしても、児童相談所が1件あたりに割くことのできるリソースは、非常に限定的だと言われている。
私の場合のように、精神的虐待が中心だった毒親は、まず通報すらされることがない。下手すれば当事者含め、一生誰もそこに「虐待」なんて存在していたとは気付かない。
それでも確実に、その子供の魂は蝕まれ続ける。少なくとも、その子自身が気付き、毒親から物理的にも精神的にも距離を置くまでは。
私自身、気付くのに多くの時間を要した。もっと早く気付けていたら、もっと傷の浅い、もう少し違った人生だったのかもしれないと考えたことは1度や2度ではない。

消えかけた魂を今持っている人たちに、私ができること

日本の法律上、「親権」が強力すぎるために、未成年の子供を毒親から離すことが困難であるという考え方がある。私に権限があったなら、すぐにでもその法律の壁を壊したい。だが、実際には私はそんなことできない、ただの無力な一般市民である。

でもただ一つ、一応毒親サバイバーである私にできることがある。それは、自分の経験を基に、細々とでも発信を続けること。
「もっと早く気付けていたら」と悔やんだところで、私自身の人生は逆戻しできない。でも、かつての私のように消えかけた魂を今持っている人たちに、何らかの気付きのきっかけを与えることはできるのではないだろうか。

ただの自己満足かもしれない、という思いは常につきまとう。それでも、何もできない私にできる唯一の行動だとも思っている。
またそれを通して、自分の中のどこかにいる、ぽっかりと空いた穴を見て悲しむ小さい自分自身のことも救いたい気持ちもおそらくあるのだろう。
「声なき声」を、「声ある声」にしていきたい。それが今私にできる、自分の毒親と世の中の毒親にできる抵抗だから。その思いを活力に、文章を通じた私の戦いは、まだまだ終わらない。