今までにもたくさんの事を決めてきたし、これからもたくさんの事を決めていく。今日のランチは何処で食べるか、明日はどんな服を着るか。そんな些細な事はもちろん、たまにその先の進むべき道が分からなくても決めなくてはいけない時もある。

そして、そんな決断の多くを、社会人になるまでに経験する。どの学校に進学するか、どんな職業に就くか。そんな重要と思われる決断をいくつかして、選んだ道では穏やかな日々が待っていた。

自分のために時間を使いたい。やりたいことを探し始めた

社会人になると、人の力を使う事が多くなる。学生だった時には一人で満点を目指していた物が、グループや会社全体で高得点を目指すようになった。
そこでは、グループで結果を出すための工夫がある。全体の作業内容を理解して方針を決める人、その方針に正しく近づいているのか管理する人、そしてその方針に向かって作業をする人。

その中では、大抵の事は大多数の同意で決まる。自分で努力して自分で決める機会は本当に少ない。そんなお仕事が生活の大半になっていた時、これは誰の人生なのかという思いが頭をかすめた。

「私のために私のやりたい事をする」
これが私の決めた事だ。その為には、もちろんお仕事をする必要もあるし、一人暮らしの私は家事もこなさなくてはいけない。

それでも、それ以外の時間を私のために、使ってあげたい。だらだらと動画を見たり、休日のお昼まで眠っていたり、そういう時間も大切だけど、もっとちゃんと私に向き合いたかった。だから、やりたい事をするそのために、まず私の好きな事を探した。

憧れていたピアノ。でも、社会人になってから始めるには抵抗が

小さい時に、友達を見てやってみたかった習い事や、かっこよかったスポーツ。その全部が出来るわけではないけれど、私のやりたい事を並べてみた。

たくさんのやりたい事候補の中から私が選んだ事は、私の中で2種類だった。
スポーツや音楽の習い事のように、上達するためにゆっくり時間をかける物。そして、映画鑑賞やドライブみたいに、その瞬間を楽しむ物。

私のやりたい事には、小さい頃から憧れていたピアノがある。でも、社会人になってからピアノを始める事には抵抗があった。時間もお金もかかるのに、本当にそれだけで、その必要性が分からなかったからだ。

弾けるなら楽しいと思う。でもそれだけの努力の価値があるのか。ずっと、悩んでいた。でも、実際に飛び込んでみると、ピアノのレッスンもその瞬間を楽しめる物だった。
すぐに弾けるようには全然ならないし、練習のための時間をとる事も難しい。それでも、実際にピアノの前に座って楽器を奏でる事が、それだけでも十分に楽しかった。

ピアノをやめても、「始めた」という経験はなくならない

ピアノを習ってみる事は、私にとって未知の世界ですごく大きな決断だった。でも、実際に習い始めてみると、大きな変化はなくて、ピアノや音楽に興味を持つ事が増えたくらいだ。
そして、学生の時のように目標や期限のない私は、いつピアノから離れてしまうか分からない。

どうせ止めてしまうなら意味があるのか。始める前、それが一番の心配事だった。
でも、たとえ止めてしまっても、この経験はなくならない。確かにピアノを弾けるまでには時間がかかる。でもその練習の一つ一つは、その瞬間を楽しめる物だ。辛い努力だけではない。あの時に決めた事で人生が明確に変わった。

そんな大それた決断ではないけれど、くすぶっていた私の決断は、学生の時のように未来だけを見据えて、辛い努力だけを選ばなくてもいいのだと教えてくれた。