学校生活は、色々な面で二者に分けられる。勉強ができる子と、できない子。運動ができる子と、できない子。そして、ピアノが弾ける子と、弾けない子。
私は3歳から電子オルガンを習っている。決してうまくはないけれど、24歳になる今日まで、楽器から離れて生きたことはない。まさに私の一部だと思っている。
でも、電子オルガンは人前で弾く機会がない。だからごく一部の親しい友人を除いて、私が楽器を弾けることを知っている人はほとんどいなかった。

ピアノと電子オルガンは違う楽器で、どちらかが演奏できるからといって、もう一方が弾けるわけではない。しかも私がオルガンでやっていたのはアンサンブル、いわゆる合奏で、1人で演奏できる曲がほとんどなかったこともピアノへの苦手意識に拍車をかけた。
どんなに電子オルガンが好きでも得意でも、学校での評価はピアノで決まる。大好きな鍵盤楽器が下手と思われるのはどうしても耐えがたかった。だから私はピアノを弾かず、結果として「弾けない子」だと思われ続けてきた。

舞台は親しい友人の結婚式。初めて人前でピアノを弾いた

そんな私は数ヶ月前、初めて人前で「ピアノ」を弾いた。舞台は「ごく一部の親しい友人」の結婚式。たぶん、一番失敗が許されないステージの一つだと思う。
その友人は新郎新婦ともに高校の同級生で、招待客もほとんどが高校の同窓生だった。内輪の式だから、目一杯楽しくしたい。そんな友人夫婦の希望を受けて、みんなで合唱をすることになった。

私が頼まれたのはその伴奏。1人で弾くのではなく、伴奏なら何とかなるかもしれない。そう思って引き受け、式の半年前から練習を始めた。
就活や論文、バイトに家事。色々と忙しい中、毎日1時間必ず時間を作り、YouTubeに上げられているピアノ初心者向けの教則動画を見ながら必死に練習した。その結果、独奏としては粗末なレベルではあるものの、伴奏ならなんとかなるかな、というレベルまでは弾けるようになった。

ところが式の1ヶ月前、「コロナウイルスの感染状況を鑑みて合唱は控えてほしい」と式場から断られてしまったのだ。
「独奏は絶対に無理」という私のわがままを聞いてくれた友人夫婦による必死の交渉の末、少人数ならボーカルを立てることを許可してもらえた。

私の技術不足を補い、成功させるには彼女しかいないと必死に頼み込む

そこで私は、高校時代から軽音楽部でボーカルを務め、誰に聞いても「歌といえば」で名前があがるAさんにボーカルを頼んだ。
歌がうまくて、声も奇麗で、歌の技術は折り紙つき。成人した今でも、趣味で歌の活動を続けている。私もそれなりに仲がよく、軽口を言い合う程度の仲ではある。
でも頼んでみると、こちらの交渉は難航。「自分じゃなくてもいいと思う」「もっとうまい人がいるよ」と言ってなかなか引き受けてくれない。
それでも私はAさんに歌って欲しかった。力強くて堂々とした歌声は、きっと結婚式という晴れ舞台にふさわしい。私の技術不足を補って、結婚式を彩ってくれると思ったからだ。
「Aさんなら伴奏がトチって止まっても、1人で歌っても様になるでしょう」
「え?あなたが伴奏なの?ピアノ弾けたの?」
「弾けないから頼んでるの!」
だからどうか、お願いします。

こんなにうまい人でも、友人の結婚式なんて大舞台は引き受けない。そう思うと、大して上手くもないのに伴奏を安請け合いした自分がバカみたいだった。改めて自分がピアノが下手で、弾けもしないことを自分の口から誰かに言うのは、ひどく屈辱的だった。
それでも高校から10年近く、軽口ばかりの関係だったAさんを、私は真剣に頼った。そしてAさんを頼って、よかったと心の底から思っている。

「大丈夫だよ!」。緊張し、謝る私に、Aさんはあっけらかんと言った

結婚式当日、私にとっては本番。
久しぶりに再会した高校の同級生たちとも話さず、私はひたすら緊張していた。
式の30分前、式場との打合せピアノを試しに弾かせてもらうと、グランドピアノ独特のタッチや練習で使っていた電子ピアノとは全く違う音の響き方に驚く。大きく音が響いた広い会場には50人くらいは入りそうだ。
50人の前で、失敗したら。演奏を止めてしまったら。また、「弾けない子」だと思われたら。考えるだけで指先が冷たくなり、泣きそうになっていた。
「本当に、失敗したらごめん。いや、失敗すると思うから自由に歌ってほしい」
私は謝る。するとAさんはあっけらかんとこう言った。
「間違えたらさ、ジャズだと思って歌うから!大丈夫だよ!」

Aさんのこの言葉に、どれだけ救われたかわからない。
あれだけ練習してきたのに、イメージトレーニングも緊張による胃痛で2キロ痩せるくらいしてきたのに、本番になってみると頭が真っ白になって何を弾いているのか自分でもわからなくなってしまった。
でも半年間の練習で染みついた指の動きと、「Aさんが歌をリードしてくれている」という信頼が、私をパニックから救ってくれた。Aさんのボーカルに合わせて、次はこの音、次はこの音と一つずつ頭の中で音符を追うことで、演奏を一度も止めることなく、最後まで弾ききることができたのだ。

もし次があるなら、一緒に主役になれるようなピアノが弾きたい

演奏が終わったあと、私は改めてAさんにお礼のメッセージを送った。
Aさんがいなければ弾ききれなかった、本当にありがとう、と送る。するとすぐ返信が帰って来た。
「最初はしぶってたけど、すごく楽しかった!歌わせてくれてありがとうね。またやろう!」
Aさんから来た返事を見ると、「弾けない子」でも「下手」でも許されるような気がした。

今でも鍵盤楽器全般は、私の一番のコンプレックスで、一番のプライドでもある。やっぱり上手に弾きたいという気持ちは消えない。それでも以前のような苦しい気持ちは減った。
ピアノも電子オルガンも、今でも練習を続けている。もし次があるなら、Aさんの歌声を追いかけるだけのピアノではなく、次は一緒に主役になれるような、そんなピアノが弾きたい。
Aさんに改めて言うと、また軽口になってしまうかもしれないけれど。

頼らせてくれてありがとう。
一番のコンプレックスを、明るい人生の目標に変えてくれてありがとう。